ティルドラス公は本日も多忙⑤ 嵐の年、国滅ぶ時(14)
第三章 シンネタイの変事(その4)
この後しばらくシンネタイではオドゥール派への凄惨な粛正が続くことになるのだが、ここで話はディディアックが向かったトッツガー領の街・ケンプクトンへと移る。
今、ケンプクトンの一角では、あらかじめミギルが送り込んだ六、七人の者たちが武器を手に集まっていた。「聞けい! 先ほどシンネタイから伝書鳥での報せが届いた。事は全て手筈通りに運んだとの由。今やミギルさまが伯爵家の主であるぞ。」彼らの頭分の男が一同を見回しながら声を張り上げる。
「おお!」雄叫びを上げる周囲の者たち。
「これより、かねてからの申し合わせの通りケロス公子のもとに向かう。トッツガー家からは殺さず生け捕りにしてアシュアッカに護送するよう申し入れられているが、ミギルさまからはその場で殺し首だけをシンネタイに送れとのご下命だ。」頭分の男は続ける。「良いか、ミギルさまを伯爵の位に就け、その地位を安泰ならしめるにあたって、我らのこの役目が最後の仕上げとなる。当然、成し遂げた際の恩賞も、取り逃がした場合の処罰も、それ相応の重いものとなる。心してかかれ!」
「はっ!」命令一下、集まった者たちは軽装の鎧を身に着け、その上から白地に紫色でマッシムー家の雀の紋を大きく染め抜いた陣羽織を着込む。
今回の場合、トッツガー家の領内でほぼ確実に刃傷沙汰に及ぶことになる。いちおうトッツガー家から内諾は得ており、この地の代官所にも報せが行っているはずであるが、それでも侠客の抗争や盗賊と間違われぬようマッシムー家の家臣であることは誇示しておかねばならない。同時に警吏の詰め所にも使いの者を走らせて詳細を知らせておく。――このたびミギル新伯爵の命を受けてマッシムー家の者たちが領内で捕り物を行うこと。目印はマッシムー家の紋を付けた陣羽織であること。場合によっては衆目を驚かせることになるが、アシュアッカの宮廷から事前に許しは得ていること。これはあくまでマッシムー家内部の出来事であり、トッツガー家には関わりないゆえ、何があろうと手出しは無用であること――。
身支度を調え、日没が近付くのを待って彼らは拠点を出発する。日が暮れればケロスはほぼ確実に自宅に戻るだろう。彼が滞在するのは防備のない通常の家で供回りの人数もわずか、しかも相手はシンネタイで何が起きたかをまだ知らないはずである。この人数で不意を襲えばケロスを捕らえるのは雑作もない――。それが彼らの考えだった。
だが、実は既にこの時ケロスのもとには、駿鷹でこの地に急行したディディアックによって変事の報せがもたらされていた。
シンネタイからケンプクトンまでは直線距離でも二千里(600キロメートル)ほどあり、途中に山脈を迂回せねばならない箇所などもあって、決して駿鷹の扱いに長けているわけではないディディアックが一気に飛べる距離ではない。それでも彼は途中で乗騎を休ませるなどしながら、凍えそうになる体に鞭打ちつつ、何とかミギルの手の者たちに伝書鳥での報せが届くのに先んじてケロスのもとにたどり着いたのである。
突然駿鷹に乗って単身現れた彼に驚くケロスたちに向かって、ディディアックはシンネタイで起きた出来事を手短に説明する。「お父君・オドゥールさまでございますが、宮廷内でミギル公子一派の騙し討ちに遭い、非業のご最期を遂げられたとのこと。」
「父上が――。」彼の言葉にケロスは息を呑む。
「お嘆きはさることながら、ミギル公子一派はケロスさまも害すべく既に手を打っておるはず。ここも危険でございます。直ちにお逃げ下さい。」
ケロスたちは直ちに荷物をまとめて家を抜け出す。付き従うのはディディアックと、彼の妹でケロスの乳母であるマーシャ=シェルカー、彼女の息子でケロスには乳兄弟に当たるマッティオ=シェルカー、そして下僕であるイリウ=モルガーノの四人である。ケロスの生母(ティンガル王家ゆかりの女性だった)は彼を産んで間もなく亡くなっており、ちょうどマッティオを産んだ直後だったマーシャが乳母として母親同然に彼を養育し、ケロスが人質としてこの地に送られる際も、息子のマッティオと共に彼の身の回りの世話をするためついて来たのだった。
なお、マーシャの夫でマッティオの父であるトニ=シェルカーはディディアックと並ぶオドゥール派の重鎮だったが、主君・ドゥーガルが後継者をなかなか決めずそれがオドゥール派とミギル派に分かれて家臣たちが反目する原因になっていることを諫言してドゥーガルの不興を買い、宮廷の一室に幽閉されて謹慎させられている間に急死している。これはのちにミギル一派による毒殺だったことが明らかになる。
ケロスの暮らす家は街の中心部から少し離れた一本道の突き当たりだった。背後は人が登れぬような険しい崖、目の前には川が流れ、街中に出るためには崖と川に挟まれた小道をしばらく行かねばならない。むろん、人質であるケロスへの監視が容易で人目を忍んでの逃亡が難しい場所ということでこの場所が選ばれたのだろう。時刻は晩秋の早い日暮れ時で周囲はすでに薄暗く、足元もよく見えないが、提灯などを点けてこちらの存在を知られるわけには行かない。「お気を付け下さい。」ディディアックが言う。「おそらく相手は夜陰を待ってこちらを襲うつもりでおりましょう。既にこちらに向かっているやもしれませぬ。――や! あれは!」
一本道の向こうに二つほどの提灯の明かりが角を曲がって現れたのである。周囲には六、七人の人影。こちらに向かってくる。この時刻にこの道をやって来る集団となれば討手以外に考えられない。
「土手の下へ!」とディディアック。
彼らは土手を滑り降り、道から一段低くなった河原の岩陰に息を潜めながら身を隠す。やがて道をやって来た集団は、彼らに気付かぬまま土手の上の道を足早に通り過ぎて行こうとする。
その時だった。
「みなさま!」他の四人と共に身を潜めていた下僕のモルガーノが突然大声を上げたのである。「ケロス公子はここですぞ!」
「な!」息を呑むディディアック。「モルガーノ! さては貴様、ミギル一派と通じておったな!」
無言のままむしゃぶりついてくるモルガーノを振り払ってその場に投げ倒し、ケロスたちと共に河原を街中の方向へと走るディディアック。一方の土手の上の討手たちは何が何やら分からず一瞬戸惑ったものの、すぐに事情を察し、土手を駆け下りて彼らの跡を追い始める。
幸い、討手たちは河原の石に足を取られて足元が定まらず、その間にケロスたちは幾分相手を引き離すことができた。しかし河原を抜けて街中に入り、人家が点在するようになったあたりで追いつかれてしまう。
「ここは私が食い止めます! お逃げ下され!」剣を抜いて討手の前に立ち塞がるディディアック。多勢に無勢、かなうはずがないとはいえ、それでも自分が斬り死にして時間を稼ぐしか――、彼が覚悟を決めたその時だった。
突然、頭巾を目深にかぶって顔を覆った一人の男がどこからともなく現れ、彼らと討手の間に割って入ったのである。「マッシムー家の者か?」腰に下げた剣の柄に手をやりながら、男は討手たちに尋ねる。
「何だ貴様は?」討手たちの頭が怒鳴る。「いかにも我らはマッシムー家の者、伯爵の命により、その者どもを追っておる。これはトッツガー家も承知のこと。邪魔立てするなら貴様もただでは済まぬぞ。」
「……マッシムー家に追われておるのか?」頭巾の男はケロスたちを振り返る。
「はい。何とぞお助け下さい。せめてこの方だけでも――!」彼に向かって必死にかき口説くマーシャ。
「良かろう。助太刀いたす。」男は頷くと腰の剣を抜き放った。
「何ぃ!?」目を見張る討手たちの頭。「えい、面倒な! この者もろとも残らず斬り捨てよ!」
彼の声に応じて討手たちは一斉に剣を抜いて男に斬りかかる。だが、男は目にもとまらぬ鋭い剣さばきで、ほんのわずかの間に、襲いかかった者たちを一人残らずその場に斬り伏せた。
「こちらだ。」唖然とするケロスたちに、倒した者たちを振り返ろうともせぬまま男は声をかける。彼の後を追って走り出すケロスたち。騒ぎを聞きつけた数人の町人たちが遠巻きに彼らの様子を見守っており、中には警吏の姿もあったが、何があろうと一切手出しをせぬようにという通達があらかじめ回っていたことで、ケロスたちを追う者はなかった。
路地を抜け、藪をくぐり、やがて彼らは一軒のうち捨てられた廃屋の前に出る。「ここだ。入られよ。」壊れた扉の代わりに立てかけられた板をずらして入り口を開けながら男は言った。廃屋の中には二、三人の男たちの姿があり、一番奥には一段高くなった上座のような場所がしつらえられていて、そこに年の頃十二才ほどの一人の少女が端然と座っていた。
「ありがとうございます。何とお礼を言ったら良いか。」マーシャが言う。「よろしければお名前を。」
「ジャムカ=シクハノス。」頭巾を取りながら男は短く答える。
「何と……!」息を呑むディディアック。
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