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オレの人生指南書=ザリガニ!?

自分にとって大切なことは何か?
ザリガニだ。

ザリガニとはハサミを持ちエビに似た生き物だ。
彼らを無くして語ることはできないと胸を張って言い切れる。

私自身はっきり言ってオタクで、とことん自分の世界に入り込み
訳のわからないことをする変人であるだと自負しておく。

ザリガニという生き物を飼育する中で、
これから先の時代で生き抜くためのポイント、
仕事ですば抜けた力を発揮するヒントが隠されていると考えたので
書き進めてみたい。


ザリガニとの出会いと肌で感じた学び


父親が生き物好きで海水魚を育てていた影響から、生き物の飼育にも関心を抱く。
小学3年の頃だっただろうか。近所の川で生き物を採取する機会があった。

その時出会った生き物がザリガニ(アメリカザリガニ)だ。
赤い体に、ハサミを広げて動き回る姿に一目惚れしたので飼うことを決意。
『ザビー』『ガビー』という名前をつけて可愛がることにした。

新しいことに気付くって楽しいな

飼育して肌で感じたことだ。

本や図鑑で調べると、皆がザリガニと呼んでいる
赤くてハサミを持った生き物は、"アメリカザリガニ"という名前で、
実は日本固有種ではなかったのだ。

また、ウシガエルが人間の食料になっていた時代、
ウシガエルの餌としてアメリカから持ち込まれた生き物で、
汚れた環境でも適応でき、何でも食べる生命力の強さから
日本全国に広まった過程も知ることができた。

※現在、要注意外来種に指定されており、移入が規制されている都道府県がございます。飼育の際はよくご確認の上、脱走にご注意ください。


発見はそれだけではない。実際に育ててみると本や図鑑に書かれていない生の体験もできるのだ。
大きさの異なる個体を狭い水槽に入れると、たとえ数十匹飼育していても1ヶ月もすれば2,3匹まで減る。

何が起こったのか?

仲間同士で殺し合い、いわば「共食い」をするのである。
弱肉強食。体が大きく、強い個体だけが大抵生き残る。前に出ていた『ザビー』『ガビー』はその生き残りだ。
共食いの現場はなかなかにカオスな状態になっている。
無作為に脚や触覚など体の一部が散乱するわ、強烈な腐敗臭が部屋に立ちこめたり、生き残りは何食わぬ顔でウロウロするわ。

もちろん、こんなカオスなことは本や図鑑に載せられていないし、
仮に載せたら気持ち悪がってザリガニを飼いたいと思わないだろう。

この共食いという出来事から何を学んだのか。3点ある。
1つめは、生き物の露骨なまでの弱肉強食社会
続いて、答えのないやり方で自分なりに方法を模索していくことの大切さ
最後に実際にやってみて肌で感じることの大切さ
である。


新たな発見と決意


もっと知りたい、やってみたい。
ザリガニを育てていると関心が次から次へと出てくる。


学校で習う国語は苦痛と言えるぐらい嫌いだったが、
教科書より分厚い飼育法の本や、難しい用語が並べられた雑誌は
むしろ楽しく、興味を持って読んでいた。
何回も何回も、一字一句しつこく読み耽った。
するとまた新しいことに気付く。

日本には、アメリカザリガニの他に3種のザリガニが生息していて、
しかも日本固有の種(ニホンザリガニ)がいることを。
さらに、生息できる地域が限られていて絶滅が危惧されているとか。

具体的な生息区域の記載はなかったものの、
仮説を立てると、祖父母が住んでいる北海道に生息しているのではないだろうか感じた。

百聞は一見に如かず。

人に飼われていない自然界で生息しているニホンザリガニを見て、実際に育ててみたい!

直感と好奇心が翔り立った。

まず祖父母の協力を得るために、
月に2回程度、飼育していたアメリカザリガニの状況、
新たに気付いたことをまとめた記事を作成して熱意をアピールした。
また、北海道からニホンザリガニに関する記事はないか、
祖父に記事の切り抜きをお願いして送ってもらった。

続いて、目星となる場所の絞り込みを行なった。
開発されておらず、綺麗な水が流れる山に焦点を当て、
「普段から訪れている場所はないだろうか?あるとしたらどんな様子だったか?」祖父母に聞き取りをした。
調べること2年だったろうか、思い当たる場所があった。

水が綺麗で、水槽にザリガニが飼育されている

管理をしている方にお願いすればいけるかもしれない。
福島の実家から北海道の祖父母の家へ遊びに行く小学6年の夏休みに
獲りにいこう、心に決めるのであった。

山の小川

念願のニホンザリガニを飼育するもまさかの方針転換


そして運命の夏休み、思っていたことが現実になる。

目星をつけていた山へ出向き、管理者のおじさんを訪ねた。

「ザリガニが好きでずっと飼っている。ニホンザリガニを探しているのだがいないだろうか?」

ザリガニ好きであること、何としてでもニホンザリガニを飼育してみたい、
想いを全力で伝えた。
はじめは困惑した顔だった。しかし、私が本気であることが伝わっただろうか
おじさんから承諾をいただき、ザリガニ獲りに協力していただけた。

裏山の湿った土の上、落ち葉の裏側にターゲットは身を寄せていた。


体長は6cm程度、メスの子持ち、色はずんぐりとした褐色


そして、ニホンザリガニをゲットする!
この感動は15年以上経った現在でも鮮明に覚えている。

おじさんに感謝し、親も卵も大事に育てよう、
強い気持ちでニホンザリガニの飼育を始める。

しかし思いとは裏腹に生命は無情だった。
福島への帰還はおろか、僅か1週間でニホンザリガニが子供と共にして天へ飛び立ってしまった。
志途中での無念の死。ショックと悔しさでいっぱいだった。

そんなかんだでザリガニに熱中していた私であったが、
月日は流れ、受験勉強の兼ね合いからザリガニの飼育から離れることになった。

※採取可能か調査ならびに確認した上で採取しております。秋田県大館市のニホンザリガニは天然記念物に指定されており、許可なく捕獲することは法律で禁じられております。
場所に限らず、捕獲の際は予め確認を取ることを推奨します。

学校の勉強で抱いた疑問と葛藤


他人に合わせることが苦手で、学校で求められる同質性、集団生活が好きになれなかった。だとしたら、逆転の発想で個性の強さが求められる仕事、例えば研究者が良いかもしれない。
直感で、とりわけ熱い熱意があったわけでも深く考えた訳ではなかった。
とりあえずだ

北海道大学の農学部の研究チームにニホンザリガニの研究をしていることを知った。
ザリガニに限らず、色々な生き物を研究してみよう、
ならば挑戦しがいのある北海道大学を目指そうと。
ここまでは良かった、問題は入学するのに必要な学力だ。

ザリガニ飼育が学んだ、手で触れて、熟考して多面的に答えを導く考え方は、何も全部が全部良かった訳ではなかった。むしろ仇と言えることもあった。

代表例が学校教育で、中でも国語の中だった。

『下線部に示している意味をA~Eの中から選べよ。-答えはA』

国語に見られる典型的な問題文だが、どうも決められた答えを素早く、そしてテンプレ通りに答えることが不得手だった。
解答はAだけど、どうしてBは言えないのだろうか?もっと別の考えだってあるじゃないか。
何度教科書や解答を読んでも腑に落ちず、気がつけば正解の泥沼に嵌っていた。


こんな場面を乗り切るために、自分で解決できないことは専門家(予備校や塾)の力を借りて学力向上を目指せば良かった。しかし、他人から力を借りることを嫌って拒絶していたことが仇となった。
勉強そのものが迷走し、高校受験も満足のいくものではなく、さらに希望としていた北海道大の入学も叶わなかった。


優秀な人物や最新技術の力を借りても答えは分からなかった


自分の中からすっかり自信が無くなり、抜け殻になっていた。
優等生でないと価値がないのか。自分はダメな人間なのか。

自分の人生の答えって何だろう?

ふと疑問に思い、どうしても腑に落ちなかった。
大学生になってようやく手にしたインターネット、専門書を含む本など、
分かるもの全てを総動員して答えを探し求める事にした。

結果はどうだったか。
何が正しいかなんか分からなかった。
ただし、大学生活、大学院での研究、社会人、
約10年だろうか、様々な事に触れて考え出した答えは下記の通り。


正しい答えなど何一つない。やってみて、自分で勝手に答えを決めればそれで良いのでは。

本やインターネット、さらには論文も活かせば当然有益だ。
ただし、あくまで他人が考え出した内容であり、正しい答えは分からないのだ。
どういうことかと言うと、他人の言葉、行動ばかり気にしていると
肝心の自分軸が無くなり、自分で決断できなくなる負の作用があるということだ。
何でもかんでも頼りすぎはまずいことだと教訓にしている。


やっと見つけた、ザリガニという大切なモノ


最後に結論に入るべくザリガニの話題に戻す。
ザリガニの飼育で学んだことは3点ある。
1)始めるときは大きな目標は不要で、純粋な好奇心だけで十分だということ
2)実際に体験をしながら自分で改善、および課題発見をすること
3)損得勘定抜きで、楽しみを探しながら継続することの大切さ

現在は、終身雇用の崩壊、副業は当たり前と平成以前までのスタイルとは
様変わりしている。

そんな中で大切なこととは何だろうか?
誰よりも優れた能力を身に付けるなのだろうか、それとも短時間で合理的に結果を出すことなのだろうか、大金持ちになることだろうか。

どれも大切なことだと思っている。

しかしそれ以上に、ザリガニ飼育で学び得た3つの学びこそ
私の原点でありかけがえのない財産だ。
現在は技術的、学術的な研究から離れ形を変えて研究をしているが、
それでも探究心は進化を続けている。

だからこそ私は、純粋な気持ちで、自ら工夫をしながら人生を全うしたいのである。

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