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組織の透明性を高めるときに意識したほうが良いこと

仕事していて、いろいろ考えたこと。これを読んだ人の意見も聞きたい。けど、飛んでくるマサカリは怖い。

そもそも透明性を追い求める理由に腹落ちすること

組織運営において「透明性」が大事だ、とよく言われる。僕も日々の仕事で強く意識している。スクラムの3つの柱の1つにも「透明性 (Transparency)」がある。
でも、それは一体何故だろう。透明性を高める行動をするためにも、また高めたあとにその状態を維持するためにも、その理由や目的を意識することが大事だ。その理解がなければ、組織を構成する人々の行動や発想を変える事はできないし、目指していた姿とは異なった結果を得ることになりかねない

理由は組織の数だけ、人の数だけ存在する。自分自身が最近考えているのは、組織の「自己組織化」を促したり問題解決をど真ん中に置いた意思決定する組織をつくるために、透明性が重要なんじゃないかということだ。大事なのは、その問題意識があることだと思う。

生データを貯めるスキル

それならば、と情報をオープンにしたいが、そもそも必要な情報が形として残っていないからオープンにしようがなければ本末転倒だ。あの会議の議事?私の頭の中には残ってますよ、多分...みたいな。

まず、あらゆるツールや手段を駆使して、生データを残すようにしよう。リモート会議の録画は出来ないか?勝手に電子情報に残るような仕組みは作れないか?もちろん、話したことを全て手作業で書き起こしたって良い。「こういう情報はココにまとめている」というコンセンサスが組織の文化に根付いていれば、迷うことも無くなる。

また、はっきりと形になる前の「考える過程」を形に残すのも重要だ。議論の叩き台の段階で完成度5割のドキュメントを書くとか、好き嫌いは有るけど Slack で times チャネルを設けて考えたり悩んだりしていることを垂れ流すのも、生データを残す工夫のひとつだ。

情報の洪水にしない。サマリするスキルを身につける

組織に流れる情報の生データを形に残すことは、終着点ではない。人間の認知能力には限界がある。情報の洪水を引き起こして、そこに人々を溺れさせることが情報の透明化の目的ではない

例えば、誰かに会議の内容と結論を伝えるときに、ビデオ会議の録画をすべて見せたり、会話の内容を全て文字起こししたものを送りつけても仕方ない。60分のミーティングの内容に60分以上費やしたら意味がない。

生の情報はサマリーしてから届けよう。人の認知スキルが受け入れられるサイズに留める工夫をしてみよう。ソフトウェア・エンジニアだと、 "TL;DR" とか書いて要点を wiki の冒頭に書く仕草もよく見かける。TL;DR という書き方が英語ネイティブからみて違和感があるのかどうかはよくわからない。

サマリーに違和感があったり、もっと詳しく知りたいと思ったときになって初めて、生の情報に当たれればよい。

生煮えのアイディアを受け入れるマインドセット

考える途中の情報を残そう、という話をしたが、「中途半端なものを見られたくない」という心理がこれを阻むことがある。作りかけのアウトプットを誰かに見せた結果、完成度10割のアウトプットだと思った誰かにフルスロットルでダメ出しをされるのは、大抵の人間だったら辛い。

生煮えのアイディアを形にする上でのテクニックはいくつか存在するが、そのベースにあるべきなのは組織に心理的安全性が保たれていることだ。心理的安全性とは「自らのアウトプットや発言、行動を批判、批判されることに怯えてたり不安を感じないで済む状態」のことを指す。(しばしば、単純な居心地の良さのことを心理的安全性と言っているケースがあるが、それは間違いだ。) 仕掛りのアイディアの場合は特に、組織内で可視化するときに「何を言われるかわからない」という不安が取り除かれていることが重要だ。

生煮えのアイディアを形にすることの心理的安全性を担保するテクニックを1つ例示するなら、それは仕掛りであることを理解したことの表明だ。生煮えのアイディアに対してフィードバックを与える立場は、すぐに単刀直入を差し込みたくなる気持ちを少し我慢して、感謝の気持ちを述べたり、「一旦方向性としてはとても良さそうです!」とか、そのアイディアを受け止める一言を挟んでからフィードバックの話をするだけで、組織の空気感は大きく変わるだろう。

あなたの価値観は透明性を必要としているか?

ここまでで紹介したように、組織に流れる情報の透明性を高めることは労力無しで実現できることではないし、場合によっては組織を構成する人々のそれまでの常識を根っこから替える必要がある。そこまでのコストを払って透明性を追い求めたいのかは、一度考えたほうが良い。例えば、「考える人」と「実行する人」を分けたり、複雑ではなく明白な問題に取り組むのなら、わざわざ透明性を担保する必要はない。半沢直樹のような、組織の中で人を出し抜く社内政治が命の組織では、透明性はむしろ大きな敵になる。

僕の働くキャディという会社はどうだろう。僕たちは「ミッション」と「バリュー (価値観)」に加えて、組織として大事にする「カルチャー」を明文化している

この中に「徹底的に『コト』にフォーカスする」という項目がある。

ときに越権行為に映っても、他社の課題をも当事者意識で取り組む。指摘を受け入れ気づきに替える。(中略) 決して批評家にならず、常に自分ごととして課題解決・目標達成に当たる行動こそが、私たちらしい態度だと信じています。

「越権行為に映」りかねない貢献をするのにも、透明性が大前提になる。逆に言えば、他部署の横槍を貰うことなく心穏やかに仕事がしたいなら、人目につかないところで仕事をしたほうが良い。

また、「『チーム』の力にベットする」という項目もある。

早く進みたいのなら、一人のほうがずっとスムーズでしょう。しかし、私たちは見たこともない、遥か遠くのゴールを目指しています。そこへたどり着くためには、全員の力が欠かせません。
(中略) フラットな組織を心がけ、必要な情報をオープンにします。互いを無条件に認め合い、性善説を支持し、愛情を持って接する雰囲気作りを心がけます。

この記事で述べたように、「必要な情報をオープンにする」ことには様々なスキルが必要になる。カルチャーを体現するために必要なのは、気持ちやマインドだけではないということは、私自身にとっても、この記事を書きながら得た気づきだ。

私たちがこのカルチャーを完璧に体現しているかと言われるとまだまだな部分も多いし、透明性に関して言えば、こういったカルチャーを保持するために透明性を保つ取り組みも技術もまだまだ伸ばし代があると思っている。一応は自分の仕事を ”エンジニアリングマネージャー” と名乗ることが多いけれど、エンジニアリングに限らず組織全体のマインドセットに働きかけるところから仕事をしなきゃいけないんだなぁと日々思っている。

ということで、そんなエンジニアリングマネージャー仲間を募集しています。


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