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【チューニング記/RCF】チューニングは専門技術

主旨


この"チューニング記"は私が愛車・LEXUS RC Fを、"走りの性能"をより追求して磨き上げていくことをテーマにした雑記です。

官能性の高いV8エンジンを心臓に持ち「こんなクルマでサーキットを走ったら絶対に気持ち良い!」と思わせるRCFですが、実際にサーキットで走らせてみると意外と「市販車」としての制約や、より広いユーザーを満足させるために"敢えて尖らせなかった部分"もあるようだと感じます。

そこでRCFが持つ世界観を大切にしつつ、量産状態を"原石"と捉えて"走りに寄せた研ぎ込み"をしたらどこまで"走りの性能"が引き出せるのか?という興味と野望を持ってRCFにチューニングを施します。

その様子を、「面白そう」と思って頂ける方に少し覗き見して頂くという趣旨のコンテンツです。

仕上げたいのか、弄って遊びたいのか


早速本題ですが、「さぁ愛車をチューニングするぞ」という時、そこには2パターンの意味が込められ得ると私は思っています。

①「車を良くすること」を目的にしているパターン
②「車を弄ること自体」を目的にしているパターン

#分かりやすく言うと
#成果物重視か、体験重視か

①は車を良くすることが目的で、例えば操舵に対する反応が物足りないと感じていた車が「これくらい反応してくれればなかなかイイね!」というフィーリングに変わるなど、手を入れる前後で現在地と目標地点との差が詰まっていけば成功です。

②はとにかく車に何か手を入れて、その結果何がどうなるかを知れれば楽しいというパターン。

①も②も得たいという贅沢なパターンもありますが、それを言い出せば話が終わらなくなりますから、ここではどっちか一つということにしましょう。


私は①のパターンです。とにかく車を良くしたい。

この①のパターンの時には、やらないほうが良いことがあります。

それは何かというと、自己流チューニングです。



#あくまで①のパターンの場合の話です
#②は②で楽しい
#でもそこはまた別次元の話


自己流チューニングを避けたほうが良い理由


自己流チューニングを避けたほうが良い理由を単刀直入に言うと、「崩したバランスを整えきれない」からです。

#どういうこと
#かみ砕いていきます


車を良くしようとしたときに、その規模は大なり小なりあれど、「何かを変える」と思います。

例えば純正ダンパーを車高調整式のダンパーに変えるかもしれませんし、パーツ自体はノーマルのままでアライメントを変えるかもしれません。

見落としがちですがこの「変える」という行為、「一度バランスを崩す」という行為なんです。



ノーマル車は一つの「バランスが取れた状態」


当たり前ですが、「ノーマル状態」というのは車トータルのバランスをメーカーが長い時間と多くのコストを投じて整えた状態です。

登場初期だと開発期間の制約から、やや熟成半ばで市場に出てくることも有ると思いますがそれでも「命を乗せて走る」ということに対して設計と評価は充足しているはずです。

そこから何かパーツを交換するとします。
例えば脚(ショックアブソーバ+スプリング)にしましょうか。

この時にどうしても「新しくつける脚の性能」に目が行きますが、実はその前に見るべきは「元々ついていた脚が果たしていた機能・特性」です。ノーマル脚を外す段階で、「ノーマル脚が果たしていた機能・特性」が一度なくなるんです。


"ノーマル"の脚が果たしていた機能・特性なんて・・・(チューニングパーツの方が凄いんでしょ?)と思うかもしれませんが、ここは全然馬鹿にできないものも含んでいます。

#一体何がなくなるのか
#そこが気になると思うんですが
#いい加減なことは書けないのでボカしておきます



チューニングは専門技術


ノーマルを崩し、そこで無くなったものを、自己流で再構築できるかというと・・・?少なくとも私には厳しいと思います。

目的が「弄る」であれば、ここは「趣味の自己責任」という切り口ではそこで何かの機能観点が漏れてしまっても良いでしょう。しかし、「車を良くする」が目的ならばここを取りこぼさないことは大切です。

ここで何を失うのかが明確に見えている人でないときちんとしたチューニングは難しい。「チューニング」って誰にでもできるパーツ交換のことじゃありません。専門技術なんです。

#餅は餅屋

かく言う私も、まだ免許を取る前、テレビゲームをやっていた頃はチューニングは「数字弄り」・「組み合わせ探し」程度に考えていました。

しかし、実際にショップに車を持ち込んで技術や理論を目の前にすると「次元が違う」という感情に支配されました。

何て言えばいいんでしょうか、初見の車ですら「当てずっぽう」ではないんですよね。

「バットを振り回していたら、100スイング目でどうにかヒットが打てました」という世界ではなくて、「打席に立つ前に狙い球を絞り、最初のストライクで少なくともボールにバットを当てる。次の一球を確実にフェアゾーンに運ぶ。次の打席ではバットの芯で捉える」ということを技術でやっている。


「パーツを選んで取りつけて、調整部を弄ってみる」ではなくて、
パーツを選ぶ時点ですでに差がつき、組付けで差がつき、仕上げてさらに差がつく。

これが「専門技術」としてのチューニングだったんです。


自分でやっても「良くなった感」は得られる


一つ落とし穴があるので触れておきます。
それは何かというと自分でやっても「良くなった感」は得られるということです。

#???

当たり前ですが、パーツを変えることでノーマルに対して特性を変えれば「変化」は起きます。

弄った時に"何かが変化した"というのはそれだけで満足感、刺激になるものですから、とりあえず「変わった」ということだけでポジティブに受け止めてしまうことが多いと思います。


つまり何が言いたいかというと、自己流チューニングは失敗していても気づきにくいんです。


「チューニング」と「パーツ交換」の違いを知る


また脚の話を例に具体的に言うと、「コーナリング時に車の動きが緩慢だから、バネを強くして、車高も下げて、クイックにしたい」という願望を持って車高調を入れたとします。

そしてその結果、「ロールが減って、車がクイックに動くようになった」。
これってチューニング成功でしょうか?

#成功でしょ
#違うの?


「強いばねに換えた」⇒「ロールが減って、(以下略)」って当たり前です。
これをチューニングと呼ぶなら誰でも今日からチューナーとして食っていけます。(苦笑)

解像度を上げていきます。

ロールが減ったその車高調、こんな特性を持っているとします。

「攻めるとなんだか怖い。修正舵が多い。」
「なんだか路面からの突き上げも気になる。」

これってチューニング成功なんでしょうか?
受け入れるべき特性でしょうか?


実は難しいのはここなんです。
ここを「これは失敗してるよね」と判断するのが、自己流ではとても難しい。

#許容レベルなのか失敗なのか

狙い通りに特性変化した部分(=ロールが減って、、、)があるがゆえに、この"なんだかモヤモヤする部分"を「NG」とバッサリ斬るのが難しいんですよね。

バッサリ斬れずに「車高調はこういうもの」とか「強いばねを付けたのは自分だしなぁ」なんて思いこんでしまいがち。
そこで考えるのをやめてしまうと。「チューンド」とは名ばかりの調律不足な車の出来上がりです。

#急に毒舌
#老婆心です
#もう老婆と呼んでくれ

ここまで読んでくださったならば知って欲しいのですが、「チューニング」ってそのモヤモヤが生じないように"変更を設計"し、そして"検証と調律"をしていくことなんです。それをしなければ車高調をつけたとしても単なる「パーツ交換した車」に過ぎません。



ではどうやったら「チューンド」と呼べるレベルの車にすることができるのか?
ここで"専門技術"の出番になるというわけです。

自分の手で"直接"弄らなくても、車はちゃんと「自分専用機」になってくれます


頼りになる専門家と歩く


というわけで、チューニングをきちんとやりたいという時に大切なのは「自己流チューニング」でやらないこと。裏返して言うと「専門家の力をちゃんと借りる」ということです。

#当たり前だけど
#「自分でコツコツやったらそのうち出来る」と思っている人が多い


今はネットであらゆる情報が簡単に検索できます。検索すると、"一見正しそうな情報"がヒットしますがその情報が正しいかどうかは怪しいものです。

#誤情報が平気で流れてくる

原理原則に反する情報でも、「そうだ」と述べる声が増えればさも常識のように振舞うようになります。そこまで行ってしまった情報を本当か嘘か、精度良く見抜いていくことは結構難しいと思います。

「自分でやれそう」と感じるくらいに情報が簡単に手に入る世の中ですが、それって"難しさ"でもあるよなと思うのです。

そういうわけで私のRCFは、私が望む姿を明確にしたうえで、チューニングョップに委ねる、という作戦です。

「色々と書いておいて、自分でやらないんかい!」と思われるかもしれませんが、「全部自分でやる」のが良い場合とそうでない場合があります。

#「やってみたいこと」と「やれること」は違う

繰り返しになりますが、求めるものが体験なのか成果物なのかで話は変わります。求めるものが成果物優先であれば、「自分でやろうとしない」という選択も時に(というか大部分で)必要だというのが私の考えです。


今日の話はちょっと極端と言えば極端ですから「まぁそういう考えもあるよね」くらいに楽しんでいただければと思います。


#エンジニアって言う生き物は極端
#変な奴ばかり
#自虐で締める


今回はここまでです。
長文お付き合いいただきありがとうございました。
もし面白いと思って頂けるようでしたら、また次回も読みに来てください。

次回は「チューニングをショップに委ねる場合、自分はどうすれば良いのか?」に対する持論を投稿させていただく予定です。