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昭和のOLのお仕事

昨日は慌てて書いたので、内容が中途半端になってしまった。

今日の続きも途中でおわりそうですが

「今の若いものは物を知らない」はいつの時代も言われる言葉らしい、確かに私たちも言われた。

「昔は大変だった」これもよく言われる。

私が社会人になった昭和五十年代はどんな時代だっただろうか

無理やり思い出してみよう

まだファクシミリは無かった

湿式コピー機を使うことがあった

乾式コピー機は頻繁に紙詰まりをおこしていた

和式タイプライターがどこの職場にもあった

そろそろコンピューターが利用され始めていて、キーパンチャーは一時期花形職業だった。

私は算盤を使うのが苦手で、電卓を五本指を使って叩いて計算をして、「今の若いものは算盤も使えない」そう揶揄された時代だ。

ワープロがまだあった時代だ、あれは昭和六十年代も使われていた。ワープロの出現は、タイピストという職業を無くした。

社用情報の通信手段は電話と郵便だ、文書は郵送がほとんどだった。とても急いでいるときは、公共交通機関を利用して持参したこともある。

そう、平成のバブル全盛期のあの時代でも、今よりのんびりしていた。新入社員への新人教育も、今ほどおざなりではなかった。

女子職員は男性職員より三十分から一時間早く出勤し、職場の掃除やデスク周りの清掃、お茶やコーヒーをいれるためのお湯を沸かしてポットに入れるのが、仕事の内だった。

始業時、朝十時、昼の十二時、午後三時、そして来客時にお茶やコーヒーを出すのも女子職員の仕事だった。それにコピー取りも加わり、仕事の中断をしながら男性職員より仕事が出来て、初めて女性でも一人前と認められた時代だ。

今日も途中ですが、明日へと続きたいな


#私の仕事 #女子職員 #昭和 #女子事務員 #働くを自由に


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