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プレイフルな避難訓練のおかげで助かった

訓練が楽しかった、とあきちゃんはいう。

あきちゃんは、2011年3月の震災当時、
釜石東中学校の2年生だった。
釜石東中学校は鵜住居にある。
釜石市の人的被害の半分以上が、鵜住居だ。

いまのウノスタ(釜石鵜住居復興スタジアム)があるところに、
釜石東中学校と鵜住居小学校があった。
残念ながら亡くなったり、まだ行方がわからない方もいるが、
ほとんどの児童生徒が、防災訓練通り、あるいはそれ以上の行動をして、
自分の生命を守った。

あきちゃんはその中のひとりで、
中学を卒業し、高校を卒業し、岩手県外の大学を卒業したあと、
釜石に戻ってきていま、鵜住居にある「いのちをつなぐ未来館」に勤めている。
いのちをつなぐ未来館で語り部として、未来塾に訪れてくる人たちに、
当時のことを教えてくれている。

釜石の学校でも職場でも、街全体が避難訓練、防災訓練をする。
あきちゃんの中学校では、「津波の速度体験」訓練があった。
津波は、時速36kmでやってくる。
よーいドンで駆け出した生徒たちを、
クルマに乗った先生が、時速36kmで追いかけてくる。
生徒たちはそれを、津波だと仮定して、追いつかれないように全力で走る。
追いつかれたら、津波に飲み込まれるのと同じだとすれば、
それこそ必死で走る。

でも、追い抜かれてしまう。
津波に飲まれてしまう、クルマに追い抜かれる瞬間、
クルマに乗った先生は、ドヤ顔をするらしい。
クルマに乗ってない先生たちは、全力で走る生徒たちを、
がんばれ〜と励ましたり、なにやってんだ〜とヤジったりする。
ドヤ顔と激励とヤジ、と、マジの走り。
これが、楽しかったんだそうだ。

「もし、津波は怖いぞ、ばっかりだったら……」
避難訓練も身に入らなかっただろう。
おざなりな訓練になっただろう。
おざなりな訓練だったら、あのとき助かっていたのかどうか……。

楽しく訓練させてくれた先生方にはホントに感謝している、
とあきちゃんはいっていた。