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とはいえ、大切にしなかったこと

友だちが東京から来てくれた。
「生存確認だ」と。

ひとりはスポーツ関係、イナさん66歳。もうひとりは、政治関係、サンキチ44歳。
わたしが55歳なので、ちょうどゾロ目トリオだねと笑っていた。

地元のはまちゃんと4人で、刺し身とか魚ばっかり食べて飲んで、
イナさんとはまちゃんが寅さん映画のマニアなので、
第1話からずっと名場面を語り合って、
第10話ぐらいで3時間ぐらいたって21時過ぎたので、
そろそろお開きにしようか、と。

ちなみに、3時間ずっと寅さんじゃあちょっとナンなので、
合間合間に選挙のこととか、東京オリンピックのことなどをはさんで、
ずっと笑っていた。

帰り道、ちょうど候補者の選挙事務所の前を通ったので、
政治の話になった。
ほろ酔いからちょっと過ぎたけど泥酔にはなってない。
けど、まもなくホテルに到着、というころに、
ふたりから同時に「あんまり批判ばっかりするんじゃない」と、
少し乾いた声でいわれた。

帰り道のは他愛もない話題だったと自分では記憶しているが、
宴席の間中、ずっとオリンピックがいかにコロナ感染の拡大に影響したか、
オリンピックをやる時期の判断が間違っていたか、
オリンピックをやること自体、財政的に問題があるか、
などを、談笑しながらではあるけれども、ちょいちょい話を挟んでいた。

ふたりとも、東京オリンピックの関係者だった。
笑いながらも、わたしの話ぶりにマグマがたまっていたのだろう。

わたしとしては、当然の理屈をいったまでだった。
わたしの周りでも、同じような意見だったから、
わたしとしては、批判でもなんでもなかった。

しかし、わざわざ東京から「生存確認」に来てくれた、
大切な人が、大切にしていることを、わたしは大切にしなかった。
政治的にいえば、野党的な人生を送ってきたわたしだから、
権力に対して批判的であるのは当然のことだし、
もちろん批判だけじゃなくて、それに変わる考え方、プランも提示できるし、提示している。

でも、与党的な人からすれば、それは的外れな言説なんだろう。
それは、見ている風景が違っているから。

オリンピックを実行するには、大きな努力が必要だったのは想像に難くない。

野党的な人生とはいえ、少しのあいだ、与党的な暮らしもしてきた。
そのとき、いかに野党的な人たちが的を外した、勝手な理屈をいっているのか、毎日腹立たしい思いをしていた。
それは、見ている風景が違っているから。

見ている風景が違えば、意見が異なるのは当たり前だし、
いずれにせよ、大切な人が大切にしていることを、大切にしなかったのは間違いない。

そう気づかせてくれて、その日の夜は眠りについて、
翌朝、何事もなかったかのようにまた寄り合い、
釜石の定点観測をして、仙人峠の紅葉を車窓から見ながら、
大切な友人ふたりを東京へ見送るべく、新花巻駅に向かった。