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空き家ははじめから空き家だったわけではない

政策チラシをポスティングするために、
住んでるアパートの近所をくまなく歩いている。

釜石の街は全体的に
山→ちょっとだけ平地→海か川
なので、山の斜面にも家が建っている。

空き家が多いなあ、と感じる。
チラシだって一枚なんぼのモノなので、
空き家には入れたくない。
明らかに空き家だ、とわかる空き家もあるけど、
ビミョーなお家もある。

空き家かお家かの判断材料はいくつかあって、
・クルマや自転車がある
・洗濯物が干してある
・草刈りしてある
・じょうろとかほうきとか、使ってるっぽい道具がある
などなど。

障子はボロボロなんだけど、洗濯物が干されてる、
という究極のお家もあるんだけど、
ふっ、と、友人のあおさん(青木健一さん)の言葉を思い出した。

あおさんは土木会社の社長で、
2011年の震災のとき、街なかのガレキを撤去する仕事をした。
ガンガンにガレキを撤去していたときに気がついた。

ガレキは最初からガレキだったわけではない。
ガレキはそこに住んでいた人たちの、宝物だったはずだ。
そうであるならば、ガレキを丁寧に扱うべきだ。

社員たちにその思いを伝え、
ガレキ撤去作業に対する心がまえを、みんなで揃えた。

とすると、空き家は最初から空き家だったわけではない。
空き家はかつてそこに住んでいた人たちのお家だった。
生活がそこにあった。
くらし、つとめ、しごと。生きる営みがそこにあった。
という思いがわき、
ドブのすえたニオイがする空き家も、
それまでの見方が変わった。

8月1日、厚生労働白書が閣議決定された。
白書によると、
ひと世帯あたりの人員は、2040年に2.08人になる。
・1990年 2.99人
・2020年 2.21人
・2040年 2.08人         (朝日新聞2023年8月1日付朝刊)

空き家だけではなく、
独居している老人にも多く出会う。