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知性と感情について、ときどき考えている。

調べものをするとき、googleで検索するか、
それともtwitterやInstagramなどSNSで探してみるか。
SNSで探す場合、#(ハッシュタグ)をつかう。
google検索を「ググる」といい、
#で探すことをタグる」という。

いまの大学生たちは、ググるよりもタグるほうをよく使う。

たとえば、流行りのファッションやレストラン情報は、
それを書いている記事を探してググるより、
SNSで誰かが書いていること、上げている写真をタグる。

タグって終わりの場合もあれば、
タグってから、深堀りするためにググるときもある。

「どこかの大人がまとめた情報よりも、自分たちと同じような属性の近い身近なユーザーが発信する情報に触れられるメリットを強く感じている」
(『シェアしたがる心理 〜SNSの情報環境を読み解く7つの視点〜』2017年)

SNSで共感することのほうが、知識を得ることよりも優先する。
つまり、知性よりも感情のほうが優位に立っている。

アメリカの映画評論家ロジャー・イーバートは、

「知性は惑わされるかもしれないが、感情はウソをつかない」

といった。
知るための方法としては、感情のほうが的確だ、と。
(『Theory of Knowledge』2016年)

やっぱり、ググるよりもタグるほうが正解なのか。

だけど、

私たちの感情は、多くの場合、自分自身に対しては説得力を持つものの、対外的にその感情や意見を表明する場合には、「言語」や「理性」が必要となるのです。

言語化することが必要だ、と。

たしかに、言語化は大切だ。
だけど、10代20代のSNSの使い方は、写真であり動画であり、
いずれにせよビジュアルで「共感」を得ている。

ビジュアル化=共感は、言語化=知性化するよりも強烈な「知るための方法」なのではないだろうか。

それは、稚拙な言語化することによってネット上で引き起こされる、さまざまな「誤謬クイズ」も避けることができる。
たとえば、

・人格攻撃論法:相手の人格を攻撃することで論点をすり替える
・因果の誤謬:前後関係と因果関係を混同する
・すべり坂論法:ひとつの例外をすべてと混同する
・憐れみ論法:論点とは無関係な憐れみに訴える
・類似性の誤謬:原因と結果が似ているべきだとする

「感情」よりも「知性」のほうが優れていると思いこんでいたけど、
「感情」もなかなかやるじゃないか、と思った。

タグったりググったりしながら、
知性と感情について、ときどき考えている。


『シェアしたがる心理 〜SNSの情報環境を読み解く7つの視点〜』 天野彬 宣伝会議 2017年

『Theory of Knowledge』Sue Bastian、Julian Kitching、Ric Sims著 大山智子訳 ピアソン・ジャパン 2016年