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語り継ぐべきことがある街だから

昨日は長崎の原爆の日だった。
釜石では、11時2分にサイレンが鳴り、黙祷を促した。

1945年の8月9日は、釜石もアメリカとイギリスの艦隊から砲撃を受けた。
艦砲射撃の狙いは日本製鐵の製鉄所で、
1945年だから、釜石というは日本の製鉄所に、
鉄を作る資源や能力がどのくらいあったのかはわからないけど、
釜石は7月14日と8月9日の2回、
飛行機で爆弾を落とす空襲ではなく、
海の上から戦艦が爆撃をした。

自分たちも大きな被害を受けた日なのに、
遠い九州の長崎のことを思って目をつぶって祈ってくれた。

祈ってくれた、というのは、わたしは長崎の出身で、
被爆者はたくさん存命で、中学高校の先生にも被爆者、
あるいは被爆2世はふつうにいた。

そういう人たちでも、それほど話はしてくれなかったが、
原爆とか戦争とか、1980年代の長崎はそれほど遠い存在ではなかったかもしれないし、
いまでもほかの地域よりは、身近に感じなければいけない感覚はあると思う。

そんな長崎のために、釜石では朝、無線放送で、
「市民のみなさんご一緒に黙祷を捧げましょう」
とアナウンスし、サイレンが鳴って、わたしも自室で目をつぶった。

語り継ぐべきことがある街だから、
過去のいろんなことを大切にするんだろう。
移住してまもなく1年になるけど、
釜石のそういうところも好きになってきた。