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北京大学に留学していたときの晩ごはん

北京大学に留学してたときの友だちにあった。
帰国して以来だから、24年ぶり。

当時の留学生食堂は、相場より高く、相場より美味しくなかった。
中国人の学生がびっくりするぐらいだった。

だから、夜ごはんは外食だった。
大学のそばには地元のごはん屋がたくさんあり、
北京方言が飛び交う騒々しさが好きで、
ときどきそうしたところにいっていたし、
日本料理なら、北京大学と清華大学の間の胡同にあった
「千鶴」というお店によくいっていた。

留学生寮から広すぎる校内をとぼとぼ歩いていって、
湖や運動場を通り過ぎて、
小さな通用門から外に出る。

裸電球の街灯がときどきあるけど、
基本は真っ暗。
映画に出てくるのと同じ胡同の一角に「千鶴」はあった。

お店の中では日本語だった。
おかみさんのチヅルさん(名前忘れちゃった)は、
日本に行ったこともちゃんと学校に行って勉強したこともないのに、
すごく自然な日本語をしゃべっていた。
お店の中で、日本人留学生としゃべることが、日本語の勉強になっているといっていた。

冬、ナベを予約していくと、水を張った土鍋には、一片の昆布が沈んでいた。
北京の街ナカの高級日本料理店でもやらない、
そんな小さな演出をして、チヅルさんはドヤ顔していた。

千鶴でたくさん食べて、たくさんお酒を飲んで、
小さな門にもどってくると、警備係が無表情で立っている。
警備員に赤い学生証を見せて、門をくぐる。

酔っ払ってみんなで騒ぎながら校内を歩いて、
寮に戻る。
そのまま飲み続けるか、
日本から持ってきたお笑いのビデオを見るか、
明日の授業の課題をするか。

いずれにせよ、明日はまた8時から授業がある。

日本は経済大国といわれ、中国はとても物価が安く、
日本人学生が遊んでいる間に、中国人学生は勉強していた。
日本人学生がまだ寝ている朝に、中国人学生は図書館の入口に並んでいた。

20代の学生たちが、同じ時間、同じ空間を共有していた。

北京郊外の学園街だった北京大学・清華大学周辺は、
地下鉄も通ってすっかり様変わりしている。
あの胡同も、千鶴も、地元の食堂ももうなくなった。