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宝来館のおかみさんとの出会い(釜石までの道 2011年〜2020年⑦)

昨日、釜石の街なかを歩いていると、
「あの」
と背中から声がして、
「ブログ読んでます」

ええええええ!

女性の方だった。
「こっち(釜石)に住んでいらっしゃるのは知ってましたけど、
震災のあと、あんなことがあったんですね」

このnoteに書いた「釜石への道 2011年〜2020年」を読んでくださっていた。
ありがたいことだ。

偶然、政策チラシを持っていた。
刷り上がったばかり。前の日の夜に届いていて、
釜石駅の駅そばにそのチラシを届けにいって、
駅そばでぶっかけうどんを食べた帰りだった。

なので、チラシを手渡した。
チラシを受け取ってくれた第1号が、このアベさんになった。

アベさんはご子息がラグビーをやっていて、
この夏休み、岩手県のU15代表としてニュージーランド遠征に参加する、と。
息子さんは3歳からラグビーを始めて、いまやU15の代表選手。
釜石の子どもたち、男の子も女の子もこうありたいな〜。

釜石シーウェイブスのグラウンドの近くにお住まいらしく、
2011年8月の「復興育成中学生ラグビー大会」をうっすらと覚えていただけている。
ありがたいことだ。

のんびり歩く4人の女性に津波が襲いかかる

2011年4月の来釜(ライフと読む)が、
復興育成中学生ラグビー大会につながり、
ヤマハとのラグビー定期戦につながって(現静岡ブルーレヴス)、
復興とラグビーがコラボして、
2019年のワールドカップ日本大会での釜石開催に続いていく、
とわたしはひとりで勝手に思っている。

最初の釜石体験に、宝来館のおかみさん(岩崎昭子さん)との出会いもあった。
このおかみさんが、釜石でのワールドカップを実現させたひとりだ、
とわたしは勝手に思っている。

<津波にのまれて生き残った人>と紹介された。
いまではもう、知る人もそれほどいなくなったかもしれないが、
おかみさんを全国的に有名にしたYoutubeがある。

「早ぐー! 早ぐー!」
「走れー! 走れー!」
切迫した音声が聞こえる一方、
映像が女性が2人、駐車場をのんびり歩いている。
その後方にもまた、女性が2人。

撮影は携帯電話のカメラで、
震災の日、大きな揺れがあって、津波の第1波が来る前に、
宝来館の建物の裏山の避難道から撮られた動画。

「早ぐー! 早ぐー!」
「走れー! 走れー!」

だけど、なかなかあゆみは速まらない。
女性たちの年齢的なものもあったのだろうが、
決定的なのは、裏山の避難道からは見えた津波が、
平地にいる彼女たちには見えてなかったことだ。

「早ぐー! 早ぐー!」
「走れー! 走れー!」

4人の女性に、津波はいとも簡単に追いついた。
彼女たちを飲み込み、駐車場に停めてあったクルマやバスを持ち上げて、
そこから先は撮影者も逃げたのだろう、
「あー! あー!」
という絶叫とともに、映像は回転し横転し、
かすかに
「おかーさーん!」
という悲痛な叫び声とともに暗転して途切れる。