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SL銀河からのバトン

SL銀河のラストランだった。

2014年から花巻ー釜石間の釜石線を、
土日限定で定期的にSLが運行されてきた。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にあやかって、
「SL銀河」という名前になった。

客車の老朽化のために運行が終わった。
機関車の老朽化ではない。
機関車は世界に名だたる日本の鉄道技師たちの腕前によって、
まったく問題なく走り続けることができる現役選手。
じゃあ客車つくればいいじゃないか、
ということもあるが、
そうもいかない事情があるらしい。

普段は「クマが出ました気をつけましょう」
ばかりの釜石市の公式LINEでも、

「東日本大震災の復興支援として運行を続けてきた「SL銀河」は本日、6月11日が最後になります。
釜石駅の出発時刻は。午後2時40分となっております。
感謝の意味を込め、手を振ってお見送りしましょう。

釜石市公式LINE「釜石市からのお知らせ vol.3189」

防災無線でも、13時に同じ内容をがなっていた。

そのかいあってか、釜石駅周辺ではたくさんの人出。
クルマは大渋滞、駅そばは大繁盛。
14時40分をみんなでワクワクして待っていた。

14時40分、汽笛を長く鳴らしながら釜石駅を出発、
富来旗とともにたくさんの人たちが見送る鉄橋をゆっくりと渡り、
宮沢賢治が待つ花巻へ向かった。

photo by Sayaka Tezuka

釜石市民としては、SL銀河には特別な思いがあった。
復興支援、元気づけてもらった、ということもある。
それ以上にかもしれない、釜石の町のイメージアップのためだ。

というのは、かつては盛岡に次ぐ大きな町だった釜石は、
1989年の新日鉄の高炉停止以来、
人口が減り続けてきた。
そもそも観光客も県内内陸の盛岡、花巻よりぐっと少なく、
同じく三陸海岸の宮古や大船渡よりも振るわなかった。

そこへ、「銀河鉄道が三陸の海へつながる町」が釜石である、
というイメージ作戦が釜石にはあった。
たしかにそれは、宮古にも大船渡にもできないことだ。

じゃあ、SL銀河が終わって、釜石はどうするか。
布石はちゃんと打ってあった。
それが、「オープン・フィールド・ミュージアム」だ。

銀河鉄道からミュージアムへ。
ミュージアムには、スタジアムも含まれている。