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釜石の人たちが乗り越えてきたもの

お弁当屋さんにチラシを手渡した。

わたしが3年前に移住してきたこと、
釜石とのつながりは2011年からのこと、
「3万人しかいない」んじゃなくて、
「3万人もいる」と考えれば、大きな価値が生まれること、
ONE KAMAISHIのスローガン、
いつものように一方的にお話をしていた。

お弁当屋さんは、いちいちうなずいて聞いてくれた。
そして、
「がんばってくださいね。釜石を元気にしてくださいね」
と。そのあと、
「まだ借金がある人たちがいっぱいいるんです。
まだ借金のために働いている人たちがいっぱいいるんです」

リーダーシップ・チャレンジの越境学習2日目。
青紀土木のあおさん(青木健一さん)の講話。

あおさんの話で好きなフレーズに、
「ガレキはそこに住んでいた人たちの宝物だった」
がある。

だから丁寧に作業しなさい、と社員たちに指示を出していた。

昨日の講話を聞きながら、ハッとした。
ガレキ撤去はつまり、遺体の捜索でもあった。

お弁当屋さんとあおさん。
釜石の人々が乗り越えてきたものの大きさにいまさらながら気が付き、
鳥肌が立ち、身体が震えた。

あらためて、自分のミッション(使命)がはっきりした。