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人間らしくあるための破壊的共生と「与太郎正伝」/和嶋慎治・神々の椅子(最終回)

人間椅子・和嶋慎治氏による、楽曲解説連載、題して「神々の椅子」、今回にて最終回となるが、そのテーマとなる楽曲は「与太郎正伝」。宮沢賢治の世界と聞いて、あなたが想像するのはどんな自然だろうか?

文=和嶋慎治(人間椅子) #神々の椅子

バイクと虫とに囲まれて

 アリの呪いに見舞われた話は、前回お話したかと思います。砂利道に足をすくわれてバイクを倒した、という椿事だったわけですが、さて現場はいったいどこだったのか。先日発売の某バイク雑誌の記事において、さらりと述べてしまったのでもう隠し立てする必要もありませんが、僕は引っ越しをしました。転倒現場は、自宅前だったというわけです。

 引っ越しの理由ですがーーバイクいじりが趣味の自分にとって、都内での暮らしは骨の折れるものでした。おんぼろマンションの駐輪場には一台しか止められず、複数台あるバイクをコンテナに置いたり果ては港湾地区の倉庫(ぶっちゃけ横浜です)に保管したり……。好きなバイクに乗るのに、いちいち遠距離恋愛みたいな手間がかかるようになっていました。車も、自宅からほど近いとはいえ月極駐車場です。愛する乗り物たちと一緒に暮らしたい……それが理由の第一であり、すべてでした。(実はもう一つ、階下のインド人若夫婦の、獣のような痴話喧嘩および夜の営みの声、階段を上る度にするカレーの臭いに辟易したというのもありますが、それはさておき)

 男の夢、ガレージライフです。東京23区内でそれを実践しようとすると、僕の経済力では到底不可能ですが、ちょっと田舎に行けばなんとか実現できそうです。当時の家賃+月極駐車場代+バイク置き場代、これとほぼ変わらない賃料で、乗り物が全部置けるのです。このコロナ禍でできた暇を利用して、僕は引っ越しを断行したのでした。(あ、もう一つだけ理由がありました。ムー民的にいうならば、近い将来起こるであろう自然災害の際、できるだけ被害の甚大そうな場所から離れておきたかったのです。自分をというより、バイクを、です)

 あらためていいますが、引っ越し先は田舎です。僕の実家は青森県弘前市にあるのですが、おそらく、いや紛うことなく弘前より田舎です。東京からさして遠くないこんなところに田舎があったなんて、当初僕は大いに驚いたことです。農家が多く、当然ながら虫やら小動物やらがたくさん出ます。虫が苦手な方なら、まず間違いなく毎日悲鳴を上げて暮らすことになるでしょう。
 例を挙げますとーー。
 ダンゴムシ、毛虫の類い。ゲジゲジ、ムカデ。七月の長雨の後の炎天下の八月は、倉庫に入り込んだ何匹ものミミズを外に出してからバイクに乗るのが、僕の日課でした。いったい何種類いるんだという蜘蛛。ヤモリが玄関にいたかと思えば、数日後には毒々しいトカゲが訪れます。とにかく日々次なる虫たちが入れ代わり立ち代わり現れて、まるで新しい住人である僕の様子を見に、あるいは挨拶をしにやって来るようでした。
 真夏はけたたましい蝉の大合唱。夜ともなれば窓辺にカブトムシが止まります。ずいぶん久しぶりに見たものですから、興奮のあまり、副業にカブトムシの飼育でもしようかしらん、などと妄想をたくましくしてしまったのも無理からぬことでしょう。

 只今は九月ですから、秋の虫たちの鳴き声に毎日心が洗われる思いです。何といいますか、都会の喧騒を離れて別荘地暮らしをしているような、優雅な気分に浸れるわけです。

 しかしながらご想像がつくように、日常これすべて牧歌的というわけにはまいりません。文化的生活を営むためには、回りの自然と対峙せざるを得ないのです。小屋の床下に蟻が巣を作っていたならば、殺虫剤を使って駆除。先日なども、夜半自室の壁がいやに黒いなあと思って見やると、壁一面にびっしりと羽蟻の大群です。「すわ、帰ってきたアリの呪い!」掃除機で吸い取るのに何時間もかかってしまいました。定番のゴキブリ退治などは、罠を置くだけですから可愛いものです。(ゴキブリもたまに出ます。がしかし、都会のゴキブリほどには不潔に見えないから不思議です)
 家に入り込んだ虫を逃がしてやったり、宅配業者さんの服に着いた大蜘蛛を手で払ってやったり、このように毎日虫と格闘していますと、農家の方々のご苦労が痛いほどよく分かります。虫が出ること自体、悪いことではありません。むしろそれだけ土地が肥沃ということですから。とはいえ土地をほったらかしにしても、きっと美味しい作物は育たないでしょう。数日前、裏庭に栗の実が落ちていたので、幾つか拾って茹でてみました。けっこう虫食いがありましたし、また売り物ほどには美味しくありませんでした。いかに我々の手元に届く農作物に手間暇がかかっているか、大いに納得した次第です。

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人らしくあるための自然破壊

 僕はどちらかというとスピリチュアル系の人間ですから、無農薬野菜、有機農法を支持する側です。わざわざそれらを専門店まで出向いて買い求めたりもします。が、自身の敷地に虫が大量発生すると、やっぱり殺虫剤を撒いてしまいます。農薬に何らかの利権、陰謀が絡んでいるにしたところで、効率よく作物を収穫するためには撒かざるを得ないのではないか……翻って、無農薬で美味しい作物が取れたとしたら、それこそまさに奇跡でしょう。健康のためにも、地球のためにも、確かに無農薬がいいには違いありません。

 しかしーー従来の農法の土地の中に、ポツンと無農薬の農家があったとしましょう。そこだけは虫たちの楽園ですから、すくすくと彼らは成長します。その後どこに行くかというと、彼らには土地の境界線の概念などありませんから、近隣の農地に飛んで行き、けっこうな被害をもたらすと聞いたことがあります。(たぶん、無農薬前提の作物は虫に強く、そうでないものは虫に弱いのだと思われます)
 あちらが立てばこちらが立たず、何事も理想論だけではいかないようです。

 何か、オカルトエッセイのはずが、僕の引っ越しにまつわる四方山話になってしまいましたが、自然のただ中に住むことによって、いかにそれと対峙するのが慣れていない人間にとっては大変か、そしていかに農業とは偉大なのか、ということを述べたかったのです。これらを通じて、陰謀論を含む近代農業の複雑怪奇さ(怖いのでここでは触れません)について、皆さんが思いをはせるきっかけとなってくれれば幸いです。

 農業は人間が人間らしくあるためにまず必要なものであり、いうなれば最も崇高な創作です。深沢七郎は作家のかたわら農園を開きましたし、宮沢賢治にいたっては童話作家なのか農家なのか、どちらが本業か分かりません。人間椅子のアルバム『三悪道中膝栗毛』収録の「与太郎正伝」、地味めな曲ですが、これは宮沢賢治的世界を狙ってみた歌です。雨ニモマケズ風ニモマケズ、ミンナニデクノボートヨバレ……自然を相手にへこたれず、あきらめず、そうありたいと作ってみました。いえ本当に、自然は優しく寛大であると同時に、容赦ないのですよ。

 閑話休題。ムー様への寄稿も、今回で8回ほどになるでしょうか。ムー民である自分にとって、これ以上はないほどの光栄でした。あらためて申すまでもないですが、自分の本業はロックミュージシャンです。このコロナ禍、ライブとてままなりませんが、一方作品を発表し続けるのも使命であります。つきまして、カッコいい音楽を皆さまにお届けするべく、これから創作活動に入ろうと思う次第であります。
 僕は怠け者で不器用な人間ですから、あれもこれもとそつなくこなすことができません。誠に残念ではありますが、創作に集中するべく、本オカルトエッセイはいったん終了させていただきたく存じます。皆さん、短い間でしたが、ありがとうございました。ムー様とかかわったこの半年間を糧に、より怖い音楽、戦慄する音楽をものす所存です。またどこかでお会いしましょう。

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