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蛍柱/読者のミステリー体験

「ムー」最初期から現在まで続く読者投稿ページ「ミステリー体験」。長い歴史の中から選ばれた作品をここに紹介する。

選=吉田悠軌

蛍柱

埼玉県 70歳 伊藤方年

 あれは、昭和20年8月初めのこと。当時、私は12歳、中学1年生でした。
 そのころ東京に住んでいた私たち家族は、アメリカ軍の激しい空襲を避けて、ある村の民家に疎開していました。
 そんな、ある日の夕方、私は母の用事で父の勤め先まで行ったのですが、父と行き違いになってしまったので、しかたなくひとりで終電車に乗って帰ることになりました。車内は満席で蒸し暑く、窓という窓を全部開けて、乗降口の手動式ドアも開けたまま走っていました。
 私は最初、その乗降口の一段低いステップに立っていましたが、そのうち居眠りをはじめ、何度も車外に転げ落ちそうになりました。ついに見ていられなくなったのか、ひとりの男性が席をゆずってくれました。
 そうして、ようやく駅に着いたのは、すでに深夜に近いころでした。私は、そこから、2キロ先にある集落に向かって真っ暗な県道をトボトボと歩きはじめました。駅の近くには街灯があるのですが、その先にはありません。
 しばらく行くと、両側が雑木林になっていました。そこはたくさんの虫たちがにぎやかに鳴き競う、まさに別世界。砂利道を歩く私の足音も虫たちの声にかき消され、月も星も見えない暗い夜道をひとりで行く怖さも、ほとんど感じませんでした。
 やがて、道はゆるい下り坂になりました。下りきったところから、左右にたんぼが開けていましたが、そのたんぼのあぜ道一面にびっしりと蛍がいて、無数の緑の光をまたたかせていました。まるで夜間飛行で市街地上空を飛んでいるような感じでした。たんぼの先に、私の疎開先の集落があります。
 そのたんぼのあぜ道を、半ばまで行ったときでした。どうしたことか突然、いっせいに蛍たちが飛び上がったのです。しかもなぜかみんな私のほうに向かってきます。そしてまもなく私は、無数の蛍たちに取り巻かれてしまったのでした。
 私の前後左右、まさに足先から頭の先まで取り囲みワサワサと舞い回っています。私はちょうど蛍柱の中央に立っているような感じでした。
 でも、まったく恐怖など感じられません。なぜなら、私にはその蛍たちが、何やらうれしそうに自分の周囲を飛び回っているような気がしたからです。
 もっとも、そうなっては私は歩けません。
 しかたなく、その場に立ち止まって蛍たちを見ていました。すると蛍たちが囲みを解いて私の頭の右斜め上に集まりだし、直径1メートルほどの緑色の光の玉になりました。
 そして「さあ、ついておいで」というように、ゆっくりと進みはじめたのです。私は夢でも見ているような気持ちで、その幻想的な蛍の光の玉に導かれていきました。
 蛍たちは、そうして集落のそばまで私を導くと、三々五々散っていきました。疎開先の農家にかけ込んだ私は、興奮してその話をしたものでした。
 今でも、8月になると私は、あの不思議な一夜の出来事を懐かしく思いだしています。


(ムー実話怪談「恐」選集 選=吉田悠軌)

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