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悪疫退散! 疫病除けの霊験仏と病魔を祓う神々を巡礼/本田不二雄・神仏探偵

人類を幾度も襲った未知の病禍。見えない脅威に対して、われわれは何ができるのか。「密」の回避や手洗いはもとより、新しい生活様式への不安といった「心」とどう向き合っていくか。そのことが今問われている。
この国には、疫病を除け、魔を祓う多種多様な神仏が伝わっている。それら神仏と結縁するための知識や、護符、お守などのアイテムも膨大に残されている。この時代だからこそ結縁したい神仏を再発見してみたい。

文=本田不二雄(神仏探偵)

薬師霊場の寺院がそろってコロナ収束一斉祈願!

 こんなときだからこそ、不安な心を鎮め、悪疫祓いと心身の安寧を祈るために、神社や寺院を参詣したいと思う気持ちが湧いてくる。
 ところがここで、われわれは大きなジレンマに直面している。
 みなさんご存じのとおり、行動自粛は神社仏閣におよび、とくに本堂・社殿内での参拝は軒並み制限されている。それは、参詣者にとっても、受け入れる寺社にとっても、きわめて不幸なコロナ・パラドックスのひとつだろう。
 そんななか、去る(2020年)5月2日、こんなネット・イベントが開催された。
史上初! 超宗派〈西国四十九薬師霊場会〉コロナ収束一斉祈願/人々の病や心を癒す「お薬師さん」の総力結集!―― 新薬師寺 国宝本堂(国宝 薬師如来坐像・十二神将像)からZOOM多元中継――
 それは、「西国の薬師霊場各寺院が宗派を超えていっせいに祈願すること、さらにその一斉祈願を世界が共に祈ることができるようにインターネットで中継すること」であり、「奈良時代から現代に至る薬師如来1200年以上におよぶ歴史上初の試み」(案内文より)であったという。

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「コロナ収束一斉祈願」Zoom 多元中継のライブ画像。新薬師寺 国宝本堂(国宝 薬師如来坐像・十二神将像)にておごそかに法要がスタートした。

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インターネット中継にて映し出された「西国四十九薬師霊場会」の各ご本尊。アーカイブ映像はこちら https://www.youtube.com/watch?v=EUNb_IbUwn4

薬師如来ーー瑠璃の光で病者を照らす大医王仏

 薬師如来とはどんな仏なのか。まずはそこから確認してみよう。
 正しい名称は「東方浄瑠璃教主薬師瑠璃光如来(とうほうじょうるりきょうしゅやくしるりこうにょらい)」。「東方」とは、「太陽が東から昇る、つまり私たちが生きている世界のこと」(一畑薬師HPより)で、「瑠璃」は、深い青色の宝石(ラピスラズリ)のこと。仏のはたらき(功徳)を宝石にたとえていくなか、薬師如来は瑠璃であり、その力は瑠璃の光といい表されたのである。
 そして異名は大医王仏。無明(むみょう)の病(衆生の迷いや苦しみ)を癒す法薬を与える仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集めてきた。

 このため、仏教伝来間もない日本ではもっとも強力な仏と考えられ、歴史の古い大寺の多くは、薬師如来を祀り、本尊としてきた。
 たとえば、法隆寺の薬師如来は、用明天皇の病気平癒を祈って発願され、薬師三尊を本尊とする薬師寺は、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して建立された。そして、聖武天皇が光明皇后の病気平癒を祈願し、建立されたのが新薬師寺である。
 いずれも、病気平癒がその動機となっているのだが、その根拠は何だったのだろうか。

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薬師如来坐像(重要文化財。福井県小浜市・国分寺蔵)。薬師如来とほかの如来(仏)を区別するポイントは、左手に持つ薬壺である(写真提供=小浜市教育委員会)。

「薬師本願功徳(ほんがんくどく)経」という経典には、薬師如来が如来(仏)になる前の菩薩の時代、「十二の大願」を立て、それをすべて果たし終えて如来になったという。なかでも、第六、第七の大願は、この仏の功徳を代表する文言とされている。以下、新薬師寺のHPから「第七大願」を引用してみたい。
「願わくば我が来世に菩提[ぼだい](覚り)を得たとき、もし人々が貧しく困窮し、寄る辺がなく、さまざまな病で差し迫った状態なのに、薬もなく、医者もいなくても、ひとたび我が名を聞けば、さまざまな病気は消えて、家来たちも増え、生活上の道具も事足りて、身心は安楽になり、菩提に至るであろう」(第七大願・除病安楽)
 その言葉は、不安と迷いを抱く者にとっては、正直胸を打つものがある。しかも、その大願はすでに成就しているという。であれば、その御名を聞き、お姿を拝し、結縁を願いたい――古代の天皇にかぎらず、そんな気持ちに駆られる人は多いのではないか。

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新薬師寺の本堂(国宝)。創建は天平19年(747)、本堂は当初のものではないが、奈良時代の建造物として貴重。

 薬師如来の尊容は、右手に施無畏印[せむいいん](畏れなくてもいいよのサイン)、左手に薬壺(やっこ)を持つというもの。多くはその左右に脇侍の日光・月光菩薩、そして武装形の十二神将を従えている。

 先のネット中継では、主催寺院である新薬師寺の国宝・薬師如来および十二神将が映し出されていた。それは、中尊の薬師像をサポートする12の尊像がぐるりと取り囲むこの寺独特のレイアウトで、案内文いわく、「いわば仏教界最強の医療従事者チーム」である。まさに壮観であった。
 同寺の中田定観住職はいう。
「多くの方々が罹患し、また不幸にもお亡くなりになる方も増え、世界中が肉体的にも精神的にも、また経済的にもひどく疲弊しています。……その祈りは必ずや天に通じるものと固く信じております」

 平安時代以降、薬師如来は鎮護国家の修法本尊となり、この時代に創建された京都・神護寺、東寺のほか、高野山の金剛峯寺や比叡山の延暦寺といった真言宗・天台宗の総本山も、薬師如来を本尊としている。古代の日本でもっとも崇敬を集めたのがこの仏だったといっても過言ではないだろう。

 これら大寺名刹のみならず、全国の各地に薬師如来を本尊とする寺院がある。これを機会に、薬師如来の大願を心に留めつつ、ご本尊を前に真言を唱え、自身や家族のために結縁を願ってみてはいかがだろうか。
◎真言 
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ(小咒)

牛頭天王/スサノオーー江戸の水際対策を担った謎の神

 疫病対策でまず重要なことは、水際対策だという。つまり、感染症ウイルスの上陸を阻止するため、港や空港での検疫を強化することである。
 ところで筆者は、東京の神仏をめぐる探索のなかであることに気づいた。
 東京(江戸)の境界エリアで水際対策を担っていたのは、「天王様」だったということである。
 具体的な地名を挙げれば、北は隅田川に接する千住宿(奥羽・日光街道の最初の宿)、そして南は目黒川に接する品川宿(東海道の最初の宿)である。それぞれのエリアを守護する総鎮守は、千住宿(南千住)が素盞雄(すさのお)神社で、品川宿が荏原(えばら)神社と品川神社。いずれもスサノオ神を祀り、地元では「天王様」と呼ばれて崇敬されている神社だ。
 そして、2か所3社の例祭は「天王祭」と呼ばれ、毎年6月上旬に盛大に挙行される。今年は残念ながらどこも神輿の渡御や屋台の出店などは中止(社殿内の祭儀のみ執行)だが、荏原神社の天王祭を取り仕切る町会のお知らせにはこう書かれていた。
「荏原神社で祀っている牛頭天王は疫病除けの神様です。きっと疫病を祓い、この難局を乗り切る力を我々にお与えくださることでしょう」

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東京・品川区、目黒川の河口近くに鎮座する荏原神社。社伝によれば、宝治元年(1247)6月19日に京都八坂神社より牛頭天王を勧請したという。

 そう、ここで唐突に述べられている牛頭天王こそ、千住や品川の鎮守社に祀られる「天王様」であり、スサノオ神の別名とされている神なのである。
 このとおり、古くから疫病除けのご利益で知られていた。千住・素盞雄神社のHPには、安政5年(1858)、江戸にコレラが流行したとき、疫除守を求めて同社に参詣者が群れ集まったと書かれてる。

 もうひとつ加えておこう。かつて江戸の東の外れといわれ、隅田川沿いの水際に位置している本所地区の総鎮守・牛嶋神社である。
 そのご由緒によれば、この地を訪れた高僧・円仁の前にスサノオの化身である老翁があらわれ、「師、我がために一宇の社を建立せよ、もし国土に騒乱あらば、首に牛頭を戴き、悪魔降伏の形相を現わし、天下安全の守護たらん」との託宣を受けたという。
「首に牛頭を戴き、悪魔降伏の形相」――それは、一般的に知られている日本神話のスサノオ神のイメージとは異なるものだ。天王様=牛頭天王としてのスサノオ。見えない疫病に脅かされている今、われわれはこの神を再発見すべきときかもしれない。

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