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大本裏神業「一厘の仕組」の謎ーー出口王仁三郎の密命と幻の神示/総力特集

昭和戦後、北伊勢の山中に謎の神秘家たちが続々と集結した。
彼らは大本の出口王仁三郎から秘密の御神体を託され、完成まであとわずかの「神の仕組(しくみ)」の実演、すなわち「裏神業(うらしんぎょう)」の成就を使命とした人々だった。
数々の神示や霊言が降るなか、この世の楽園のごとき聖地で、世紀の神業は着々と進行するはずだったが――。
光芒を放った戦後古神道秘史を明らかにする!

文=不二龍彦 イラストレーション=久保田晃司

消えた大本裏神業の聖地・三保山

 出口ナオのお筆先(『大本神諭』)に、「日本の神国には、九分九厘行った処で、一厘の秘密が有る、手の掌を覆すと云う事が書いてあろうがな」という謎めいた一節がある。
 また、ナオの帰天後、出口王仁三郎を介して国常立神(くにとこたちのかみ)が降ろした『伊都能売(いづのめ)神諭』にも、「世界は九分九厘と成りて、昔からの生神の経綸は成就いたしたから、変性男子若姫岐美尊[へんじょうなんしわかひめぎみのみこと](ナオ)は天に上りて守護いたすから、日の大神、月の大神、天照皇大神御三体の大神は、地へ降りまして今度の御手伝を遊ばすなり」という、さきの神諭を受けた神示が下されている。

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大本の開祖・出口ナオ。50代なかばで激しい神憑りにおちいり、「艮の金神」の言葉を伝えはじめた。

 国常立神によれば、ナオと王仁三郎を使って演じさせた神の仕組(経綸)は「九分九厘」のところまで進んできた。けれども、最後の「一厘」の経綸は、まだ現実世界に移写されていない。そこで、最後の「一厘」を成し遂げ、経綸を完成させるために、「日の大神・月の大神・天照皇大神」という天の御三体の大神、すなわちミロク大神が地に降り、一厘成就のための「御手伝」をするというのである。

 これを「一厘の仕組」といい、現実世界で仕組を実演することを「裏神業(うらしんぎょう)」と呼ぶのだが、この裏神業を王仁三郎から託されたと唱えて数々の神業にとりくんだ異端の人々——大本にとっての「部外者」たちが、昭和20年8月15日の敗戦後、鈴鹿山脈の東山麓に位置する北伊勢の菰野(こもの)町(当時の人口約2万人)の山間部に、続々と集結した。

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出口ナオ直筆の「お筆先」。「おおくにとこたちのみこと、へんしょうなんしのみたまと一つになり大出口のかみと世界にあらわれるぞよ」とある。

 中核となったのは、王仁三郎の霊言とされる『天言鏡(てんげんきょう)』を書き留めた辻天水(つじてんすい)だが、布斗麻邇(ふとまに)・数霊(かずたま)学者の武智時三郎(たけちときさぶろう)、武智が弟子とみなしていた『日月神示』の岡本天明、言霊奏上による裏神業を王仁三郎の指示した霊地霊域で実修して回ることに半生を費やした泉田瑞顕(いずみたずいけん)らが、あたかも因縁の糸でたぐりよせられたかのように、昭和20年代の菰野町に集まった。

 また、淡路・四国でイスラエルと太古日本の関連を世に出すよう王仁三郎から命ぜられ、天水とともに淡路神業を成就した白山義高(武智時三郎の娘婿)、八雲琴(やくもごと)の継承者で『天言鏡』を取り次いだ生源寺勇琴(しょうげんじゆうきん)、一時期、天水が養子に迎えようとした異才・富士宮瓊光(ふじのみやたまみつ)などのほか、数々の女性霊媒や神秘家たちも出入りし、菰野はあたかも裏神業の聖地のごとき観を呈したのである。

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王仁三郎が辻天水(つじてんすい)に授けた「裏神業」の御神体の短冊。王仁三郎の直筆で大国常立大神と金山彦神、金山姫神の神名が書かれている。

人々の記憶から消えた聖地・三保山

 ところが、菰野における神業の中核を担った天水の錦の宮や、錦の宮にほど近い位置に創造された天明の至恩郷(しおんきょう)は、いずれも解散・解体して消え去った。今回の原稿を書くにあたり、筆者はまず錦の宮や至恩郷が設けられた三保山の現状を取材すべく、本誌取材班とともに菰野に入った。

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