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階段

仲の良い友達と顔を合わせる階段がある。
挨拶はさよならではなく、次会う約束をする。
フィリピンで出会った友達、大学の友達、
地元の友達、東京で出会った友達だ。
15段を登り降りする。

2つ歳の離れた頭の良い従兄弟が
山を一つ越えた先の街に住んでいて、
この先に来るであろう困難に
僕は太陽の様にそこに居たいと思う。
彼らは相思相愛の人をなくした。
僕が想像するだけでこんなにも
辛い事は無いと思う。
僕はその時は学生という身分で、
今よりさらに好奇心が旺盛で、
エネルギーを持て余していた高校生活と比べるとしたいことも出来て彼女も居て充実していて
幸せだった。
比較する過去と現実との距離が近く、
既視感のある世界だけで満足していた。
卒業が近づくと徐々に就活をし始める人を見て
漠然とした不安を抱えながら
語学留学でフィリピンにいて、
カナダにワーキングホリデーへと流れた。
雪化粧の街中を当てもなく歩く。
目まぐるしく変わる現実で目がまわる。
自分の中を繋ぎ止めていた
磁力が変わり始める。

早朝に訃報の知らせがあり、
働いてる場合ではないと思い仕事を休んだ。
異国の環境で1人の時間が多くなり
この頃から散歩が好きになった。

僕も弟もお世話になっていた。
年に一度合う様な仲で、
実家で団欒を食卓を囲み、共に時間を過ごした。
僕が知らせを聞いたのは2回、
カナダに居た時と、学生時代に
インドからの帰りに地元に戻ってきた時の
夜の公園で父親から電話があった。
もちろん僕はそんなことを
予期していなかったし、彼らもそうだ。
初めての葬式。
父親と祖父母が泣いているのを初めてみた。
それ以来僕の耳ではこちらの家族の中で責め合う様な言い方がより粒立って聞こえる様になった。そしてカナダにいた時には
フィリピンで一緒に二郎ラーメン作って遊んだこともある女の子もなくなったと聞いた。
夜の仕事をして貯金をしてフィリピンに
そして彼氏と異国に移住するために
一度資金づくりを日本でしていた
最中だったという。

身近な人がいなくなる事が続いた
時期であったこの数年間、
僕は何も出来なかった自分を責めていた。
大学で初めて海外へ行き、ラオスやカンボジア、発展途上国の国々で現地の生活環境を見て感じ、インドのバラナシで受けたカルチャーショック、街中に残るカースト制度、
デリーから飲んでる寝台列車内で
小窓から物乞いに起こされる。
最初は物乞いからどうかも分からなかった。
車内では羽振のいい地元民が
客人として異国人の僕らを接待してくれる。
ガンジス川で目撃した生死の距離感、
半白骨化した赤ん坊が浮いていて、
目の前で火葬が行われていた。
水浴びをする人たち、水牛を連れている人、
洗濯をする人たち。
宗教観を始めて生で感じた。
よしもとばななさんのガンジス川でバタフライに書かれている景色がリンクする場所だった。

人と関わるのが怖くなっていた
自分の中で少しずつ変わり始めた、
何か出来ることはないかと考え始めた。

カナダでとりあえずもやもやした何かを抱えていた僕は季節外れのウクレレを引いてみて
初めて曲を作ってみた。
口ずさみながら歌詞を思い出してみる。

“YOLO” means your life is one time
Living side
How far from Tokyo
Won’t be long no worries about my life
Getting cold
I mean really fucking freezing cold.
Not too late it too fast.
Now let it ride May I you and I
I’m JPです。どうも
Falling up そう今charging my life yolo
Before Falling down we falling up
Till I can say this wonderful one.

あと1行が思い出せない。
この時から僕は日記を書くのが好きであったが、歌にしてようやく記憶の媒体を音として
メロディーやストーリーを忘れない、
要素がそこに残存している感じがした。
それ以来、僕は記憶をかい摘んでは、それに夢中になり、コロナ禍で社会との孤立化が
進んだ僕は大学も行かなくなり中退した。
日本橋で大学の同級生とシェアハウスを始め、
スケボーと音楽、アルバイトの日々、
一つ返事で東京へと引っ越した。
全く自分でも呆れるくらい好き勝手な奴だ。
東京で同じ思いで動き続ける
数少ない友達に出会い、
僕に響く言葉は時系列を感じさせる。

従兄弟と会うのは1年ぶりだ。
この間ばあちゃんに初任給で買った、
肉を贈ったと言っていた。
何かいいな。僕らは今の生活の話や人間関係、
夢中になっている事、お互いの友人関係、
どうにか核には触れたくて、
どう作用するか分からなくて、
直接は触れれなくて、
でも心が躍る話をした。
2人で飯を食って出掛けたりするのは何気にした事がなかった。僕の家族は僕視点では一定の距離感があり、こうやって歳を重ねてまた会えるのは
凄く嬉しいことだ。僕には僕なりの恩返しをしていきたいし今ある環境に感謝して受け継いで行きたい。

従兄弟家族ラインが動き出した。

来週の土曜日もどこかへ出かける⤴︎
鯛料理屋を知っているらしい、
食べに行ってみよう。

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