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フーガとはなんぞや。

「フーガ」で検索すると日産のセダンの情報がぞろぞろ出てきてしまいます。嗚呼、何たることでしょう。

それは置いておいて、音楽が鼻歌の集合体だとすると、フーガは鼻歌好きな老若男女達が仲良く集まった楽しい村の仲間たちです(ここはふーがのむらだよ!ここはふーがのむらだよ!)。

音楽的な修練の点から申しますれば、フーガはラジオ体操が高度に複雑化したような身体訓練のようなもので、普段しないような手足の動きの組み合わせを行い、それら無限のパターンをおのれの音楽的意識に叩き込み、いざという時の作曲能力の糧とするものであります。

与えられた主題と対旋律は固定されているので、それは自転車の補助輪のような役目を果たし「純粋な自作ではないが、一定の様式を持つある程度の長さの曲を兎にも角にも書き終える」という仮想的な作曲修練の役目を果たすものであります。ああややこしい。しかしこれは大事な修練です。

私個人の感覚からしますれば、このような「音いじり」をやりこむうちに、展開しやすい主題を見かけると、すぐに「おっ?」と鼻が利くようになるようです。その感覚は自らが主題を創作する際に役立つのでは、と感じております。

逆に言うと、展開がやりにくい主題とはどんなものかが何となく分かるようになります。

教本に載っている主題にも、これで書くんかよ…何かむらっと来ないなーふむむ・・というのも、まあないことはない。というかちょくちょくあります(具体的なそれらの特徴としては、同じ音域で同じような動きをくどくどと繰り返している、使用音や跳躍進行・順次進行の扱いに変化が乏しい、等があります)。何にしても「作業を集積したのちに自分の趣味が明確化される」というのは大事なことです。

さて駄弁はここまでにしまして、池内友次郎著の「学習追走曲」によれば、学習フーガの様式はパリ音楽院に古くからあるもので、その起源はよく分かっていない、との記載があるのみです。

その歴史的集積の過程がどのようなものだったか、現代の我々にはもはや想像を巡らすしかないのですが、この様式を学んだ者からすると、異国の先人たちはよくぞこんなに便利なものを残してくれたなあ、とつくづく思うのであります。

この投稿に続いて、私が書いてみたフーガの実施例を投稿できたらと思います。

まとまりなき文章なれど、序文に替えて♪

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