それは違いますよ、セルゲイさん!(大作曲家の書簡に21世紀から横レス)
世の中には書簡集というのがあります。
そう、有名な方々の手紙のやりとりが後の世にどばっと晒される、デジタルならぬアナログタトゥーです。
それを後の世で拝読(というか覗き見)すると、時折どうしても納得できないことがあるわけです。
かの有名なラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。
その全曲初演の直前にラフマニノフ氏は友人にこんな弱気なことを書き送っているそうです。※下記記事より引用させていただきました。
ああ、何ということをおっしゃる。
貴殿の第2協奏曲の冒頭(から第1主題の提示部以降)は、
冒頭からの導入(第3楽章導入部から引用したであろう和音の配置)、
かの有名なハ短調の主題(これも第3楽章の第1主題からの関連が見られる)の提示・推移・確保、
そしてテンポを若干速めた小結尾(その速さではわかりにくいが、ピアノの急速な音形にカノン的な遊びがさりげなく施されている)、
その後に再び第1主題をピアノの和音で鳴らして再現させて、ハ短調の確保を確実なものし、第2主題へ向かう必然性を確かなものにする。
もう完璧じゃないですか。
言うべきことだけを言い、似たような内容を並べてくどくど言い繕うようなことはしない。しかし言ったこと全ての流れがよどみなく整っている。
これが巧まずして成されているのが、貴方の書いたこのピアノ協奏曲なのですよ。お願いですから、自分の作品の価値をもっと分かってください。
セルゲイ・ワシリエーヴィチさん、あなたは代わりにこう書くべきでしたよ。
「ニキータ・セミョーノヴィッチ君」は音楽院時代からの友人で、後のモスクワ音楽院教授だったとのことですが、一体どんな文章を書いてよこしたのでしょうかね。。
下記書籍にも、ラフマニノフの取り巻きの人達は「第2協奏曲?ああ、2楽章と3楽章はいいけどさ、それに比べると第1楽章はいまいちだねえ、ふふふん」とか言ってたらしい、ということが書かれていたように記憶しています。
時間による淘汰に耐え、未だなお価値を保ち続けているこの協奏曲に、そんなことを本気でのたまう御仁が現在この世にいるでしょうか?
当てにならない評価というものはいつの世にもあるのでございますね。
今昔物語集にでも収録してあらまほしきお話でございます。
以上、「大作曲家の書簡に21世紀から横レス」でした。
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追記:
そうそう、ラフマニノフ氏を語る上で有名な、
第1交響曲の初演の失敗
↓
がーん落ち込む
↓
催眠療法による治療で復活
↓
第2番のピアノコンチェルトできたよおお!
の流れは、下記の記事が冷静かつ詳細な分析を行っていて、出来事を正確に捉えていると思われます。現代の視点(?)から見ると、そんなに重篤ではなかったみたいです。
https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/dahls-hypnotherapy
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