見出し画像

それは違いますよ、セルゲイさん!(大作曲家の書簡に21世紀から横レス)

世の中には書簡集というのがあります。

そう、有名な方々の手紙のやりとりが後の世にどばっと晒される、デジタルならぬアナログタトゥーです。

燃やしちゃえばいいのに、必ず誰かが取っとくのよね

それを後の世で拝読(というか覗き見)すると、時折どうしても納得できないことがあるわけです。

覗き見を
するだけでなく
茶々入れる

かの有名なラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。

その全曲初演の直前にラフマニノフ氏は友人にこんな弱気なことを書き送っているそうです。※下記記事より引用させていただきました。

「君の言う通りだ、ニキータ・セミョーノヴィッチ君。1楽章を改めて通しで弾いてみたら、第一主題から第二主題への移行が全くダメ。この形だと、第一主題は導入になってしまう。私が第二主題を弾き始めても、聴衆は曲が始まったと思うだけで、それが第二主題だとわからない。これではこの楽章全体が台無しだ。もうダメだ、がっかりだ。でも、なぜ今なんだ?なぜ初演まであと5日だというこのタイミングで、君はこんなものをよこすんだ!具合が悪くなりそうだ」

https://note.com/pippapiano/n/na4982025a126

ああ、何ということをおっしゃる。

貴殿の第2協奏曲の冒頭(から第1主題の提示部以降)は、

  • 冒頭からの導入(第3楽章導入部から引用したであろう和音の配置)、

  • かの有名なハ短調の主題(これも第3楽章の第1主題からの関連が見られる)の提示・推移・確保、

  • そしてテンポを若干速めた小結尾(その速さではわかりにくいが、ピアノの急速な音形にカノン的な遊びがさりげなく施されている)、

  • その後に再び第1主題をピアノの和音で鳴らして再現させて、ハ短調の確保を確実なものし、第2主題へ向かう必然性を確かなものにする。

もう完璧じゃないですか。

言うべきことだけを言い、似たような内容を並べてくどくど言い繕うようなことはしない。しかし言ったこと全ての流れがよどみなく整っている。

これが巧まずして成されているのが、貴方の書いたこのピアノ協奏曲なのですよ。お願いですから、自分の作品の価値をもっと分かってください。

白鍵と黒鍵は永久に不滅です!(たぶん)

セルゲイ・ワシリエーヴィチさん、あなたは代わりにこう書くべきでしたよ。

「君は何か勘違いをしているよ、ニキータ・セミョーノヴィッチ君。1楽章を改めて通しで弾いてみたら、第一主題から第二主題への移行は全く問題はないじゃないか。第1主題の導入は私のお気に入りの鐘の和音(これは第3楽章の最初の部分から引用したんだよ、分かるかい?)に続いて極めて効果的に成されている。その主題の展開と第2主題への推移も必要かつ充分で、申し分ないものだ。私が第2主題を弾き始めたら、聴衆は最初のハ短調の緊迫感から解放され、変ホ長調の柔らかさと煌めきに魅了されるだろう。ここまでくれば客席はここから楽章全体がどう展開するだろう?という期待感で満ちるに違いない。もう最高じゃないか、こんな曲が書けたなんて。ときに君、なぜ今なんだ?なぜ初演まであと5日だというこのタイミングで、君はこんな勘違い山盛りの牛糞の山みたいな紙切れをよこすのかね?今すぐウォッカを掛けて燃やしたいくらいだ」

※以上、もちろん筆者による妄想です

「ニキータ・セミョーノヴィッチ君」は音楽院時代からの友人で、後のモスクワ音楽院教授だったとのことですが、一体どんな文章を書いてよこしたのでしょうかね。。

下記書籍にも、ラフマニノフの取り巻きの人達は「第2協奏曲?ああ、2楽章と3楽章はいいけどさ、それに比べると第1楽章はいまいちだねえ、ふふふん」とか言ってたらしい、ということが書かれていたように記憶しています。

「第1楽章はいまいちだねえ、ふふふん」
腕を組まずに気を付けをしながらニヤニヤ顔で同じことを言ってみなはれ

時間による淘汰に耐え、未だなお価値を保ち続けているこの協奏曲に、そんなことを本気でのたまう御仁が現在この世にいるでしょうか?

当てにならない評価というものはいつの世にもあるのでございますね。

今昔物語集にでも収録してあらまほしきお話でございます。

なぜにここで金次郎…答えは風に吹かれている

以上、「大作曲家の書簡に21世紀から横レス」でした。

--

追記:

そうそう、ラフマニノフ氏を語る上で有名な、

第1交響曲の初演の失敗

がーん落ち込む

催眠療法による治療で復活

第2番のピアノコンチェルトできたよおお!

の流れは、下記の記事が冷静かつ詳細な分析を行っていて、出来事を正確に捉えていると思われます。現代の視点(?)から見ると、そんなに重篤ではなかったみたいです。

https://www.chibaphil.jp/archive/program-document/dahls-hypnotherapy

当時のラフマニノフは作曲こそ進まないものの、ピアニストとしての仕事などは継続できており、大うつ病にみられる全人的退行はなく精神疾患としては重篤ではなさそうである。ピアニストかつ作曲家で多忙で期待も多いところに、最初の交響曲の評判が散々でやる気なくなっていたところ、ダーリと過ごした時間で、休養、十分な睡眠、アマチュアのヴィオリストで教養のある医師との会話で癒やされたと考えるのが妥当であろう。親戚達の野望に上手く乗せられ、ピアノ協奏曲を書くという具体的目標が設定されていたのが興味ぶかい。

上記リンク先より引用させて頂きました


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?