見出し画像

【自己紹介】30年以上プログラミングをしたナニカ

はじめまして、ムンペイです

はじめまして、ムンペイと申します。

小学5年でプログラミングにはまり、以来プログラミング周辺で生きてきました。自分の知っていることで何か世の中に役立つことはできないかとサムライアプスというサークル活動をしてみたりしています。不惑も大きく過ぎて人生も折り返しつつありますので、noteにも少し書き残してみようかななどと思っています。

以下、簡単にプログラミング歴のご紹介など。


BASICからC++へ

小学5年のときに父が購入したPC98でN88-BASICにハマりました。当時はベーマガ(マイコンBASICマガジン)の写経をして楽しんでいました。パソコン通信もはじめて、NIFTY-Serveに出入りしておりました。

その後、初めて触ったWindowsは3.0Aだったと思います。そこからC++でGUIプログラムに挑戦するようになりました。まだGUI用のフレームワークが成熟していない時期で自分でも作ったりしていました。Visual C++は高額だったので Borland Turbo C++ (その後 C++Builder)を使っていたとおもいます。

ネットサークル、ストリートビュー開発

このころ、誘われてゲーム開発サークル活動をしていました。なかなか完成したものを出すのは難しくて当初の構想は実現できずホロ苦い思い出ですが、小さいゲームを1つフリーウェアとして発表することができ、また別のメンバーが担当した作品がチーム名で100均で販売されたこともありました。

大学も情報系に入り、プログラミング三昧でした。プログラミング技術については大学で学ぶレベルは既に超えていましたが、Linuxでサーバーやネットワークを構築するという経験ができました。
修士論文の研究では、いまでいうGoogleストリートビューのようなものを作りました。友人のトラックの屋根にカメラを4台載せて大学の構内を走り回って撮影し、地図の地点をクリックすると全周画像が表示できました。当時はストリートビューどころかGoogleも登場したばかりで、今思うと結構画期的だったかもしれません。

就職後は多様な言語を触るように

卒業後は外資系IT企業に入り、組み込み向け画像処理ソフトウェアの開発、マルチコアプロセッサの技術開発やカスタムボード開発、などを行いました。マルチコアはまだ一般的ではなかったので、マルチコアプログラミングに関する記事を会社の技術サイトや雑誌に寄稿したりしました。電気回路設計やハードウェアのデバッグをしたりもしました。ほとんどC/C++でしたが、ファームウェア開発ではForthという謎言語も触りました。

10年で転職し、マルチコアや高速化を売りとするソフトウェア会社に入りました。IoT的なデバイスの啓蒙コミュニティ活動や、スマホアプリ開発、SaaS新規ビジネスへの挑戦、量子コンピュータ関連のソリューションビジネスなどに、プレイングマネージャとして参画しています。ここではJava、Objective C、Python、C#、JavaScript/TypeScriptと多様な言語を触るようになりました。

よろしくお願いします。

UnsplashMikhail Fesenkoが撮影した写真を使わせていただきました)

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?