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自分を大切にするということについて考えてみる@寂しさを男で埋めるなよ編

さてはて、沼ってしまったセフレから足を洗って早10日近くが過ぎた。
その後の私といえば、とにかく寂しさを男で埋めるようなことはもう2度としたくない、という決意と、毎日のように流れる結婚報告・出産報告のSNSを細い目で見つめながらいいねを押し、私はいつになるのやらと胸を痛める、そんな繰り返しである。

沼った男がいたこと、その人たちと関係が切れた経験は今までにも数回あるのに、なぜこうもまた同じことを繰り返しているのか。そして私は知っている。

時間が1番の特効薬であるということ。


ならば、過ぎる時間をただ飢えて過ごすのではなく、前回のnoteにも書いたように、自分を大切にし磨き上げよう。

私はとにかく1人行動が苦手である。
周囲の目が気になってしまうし、何より1人で行動することに楽しさを感じられないのだ。

ひとりご飯もひとり映画も、楽しい美味しいを誰かと共有したいのだ。そこに価値を感じるのだ。
ひとりでやってごらんよ、と言われれば、ひとりでやるくらないならお家で料理を作り食べ、サブスクを漁る方がよほど価値があると思っていた。いや現に今も思う、ところはある。

ただ最近、しっかり自分を大切にして栄養を与えようと思ってから、少しずつ気持ちにも変化が出てきた。

ひとりでも行きやすいような喫茶店を調べたり、キックボクシングなんかも始めてしまったり。

その背景にあるのは、紛れもなくひとつの沼が終わり、そんなことをしている自分を変えたいという思い。そして、そのためには今までみたいに、1人で家で無意味に過ごす時間を減らし、自分に夢中になることが必要だと思ったから。

今までに何度もそんなことは考えていた。
けれど行動には移せず、その場でただ足踏みをして終わっていたのだ。

ただ、思考がいう。
「このままでいいのか」と。

少しの勇気と好奇心。必要なのはそれだけだった。

行ってしまえばなんのその。おひとり様専用喫茶店に行き、カウンターで静かに本を読む。人といたら気づかなかったコーヒー豆の匂いやドロップされる音、流れる静かで丁寧な時間。あの空間に酔いながらお店を出たあと、自分の心は充実感で満たされていた。何もしてないのに、何だか少し良いことをした気持ちになった。

ボクシングもそう。体験こそ友達を誘って行ったが、行ってしまえばただひたすらに楽しいと感じ、体が筋肉痛という形で喜びを謳う。 


ああ、私、今自分の時間を過ごしている。

誰に邪魔をされるわけでもない。
自分の意思で行動して、時間を自分のために使う。
悩みも全て置き去りにして、ただ今を集中する。

とても当たり前で、とてもありがたい。
そして当たり前なのに難しい。

私はこんな時間を今までどこに置いてきていたのか。

…違う、置いてきたのではない。

過ごしてきていたのだ。ただ、私が気づかなかっただ。今までとは少し違う形で自分の時間を過ごし、ようやく私は気づいたのだ。

自分を大切にすること、色々な定義があるだろう。
人それぞれ大切の仕方はそれぞれ。

私はまず、自分を大切にすること、心が満たされることでひとつ大切にできたと実感することに気づいたのだ。


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元々、人の顔色や評価を気にしやすいたちだ。
世間一般でいう気にしいに私はよく当てはめられた。

友達とお店を決める時、相手の希望は何なのかを気にする。どっちでも良いといえば、それはそれで迷惑だと思い、米と麺の気分ならこっちかなと、少し伝えた上で最終決定権は相手に渡す。

仕事においても、これはきっと相手にとってあまりやりたくない仕事だろうと察し、先回りして動いてしまう。

無駄に察する力が身につき、おかげさまで良くも悪くも人の気持ちに敏感になってしまった。
その分、自分の気持ちにかなり鈍感になってしまった。というより、自分の気持ちを大切にしていなかった、と思う。

常に相手に意見を求める癖がついてしまったし、私がこう感じるこを人はどう感じるのだろうか、と答え合わせをしてしまう癖もついてしまった。

簡単にいうと、非常にめんどくせえ奴になってしまったのだ。

恋愛においても、相手の気持ちを察し答え合わせがしたくなってしまう。白黒ハッキリつけないと気が済まない。グレーがない人間において、うまくいかない恋愛ほどストレスなものはない。
片思い時期が楽しいなんて誰が言ってるんだ、それは相手の気持ちがすでに自分に向いていると確信があって言える発言である。

とまあこじらせにこじらせ、アラサーになった。

そこでようやく気づくのだ。

自分は今までどのように自分を大切にしていたのか。
人に大切にされたいと願うばかりで、私は自分を大切にしていた?
いやいや、大切にするって何?

思考を巡らせ、息を整えるようにひとつひとつ整理する。
そんな中で感情が顔を出す。
「私の心を満たしてほしい」と。

それをきっと私は今まで異性に求めていたのだろう。
寂しさは執着を生み、執着によって関係が切れ、そこに枯渇し、また新しく出会いを求める。
文字に起こすと愚かすぎて情けなさすぎて、胸が気持ち悪い。

けれど実際そうなのだ。

自分で自分を蔑ろにしてはいけないのだよ。

傷ついてしまった心と体を、何よりも大切に抱きしめてあげれるのは自分なんだ。

それは自分にしっかり栄養をあげること。
食べること、寝ること、自分と向き合う時間を作ること、それは内省の時間。感情に問いかける時間。
そして、行動に移す時間。
朝起きて昼に活動して夜に眠る。リズムを整えること。お家をきれいにして、家の空気を澄んだものに変えること。

全てが自分に繋がっていく。

自分が自分に正直に誠実であれば、周りの人たちにもきっとそうできる。
自分を大切にできない、自分に目を向けない人が周りの大切な人を心から大切になんて、できっこないんだよ。
そしてきっと、不要な縁が離れ、自分が自分らしく大切にできたとき、ちゃんと必要な縁は自然と寄ってくるはず。
その時、その縁をちゃんと掴むことができるように、今は自分を大切に大切に磨いていこう。

明日はどんなふうに自分を大切にしようか。

一緒に考えてみよう。

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