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「過去の栄光」が成長を邪魔しているのかもしれない

はじめに

おはようございます。
むぎです。

あなたの周りには
「俺は昔こんなにすごかったんだぞ」
「私は〇〇大卒なんですけど」
とやたら自分の過去の栄光を誇張してくる人っていませんか?

それがいいとも悪いとも思わないのですが、
ただ、もしかしたらそういった思考は少し危険かも
と感じたので、
今日は「過去の栄光」について書いていきます。

なぜ人は「過去の栄光」を振りかざすのか

こんな内容を書いていますが、
私自身はこれと言って人様に誇れる肩書も経歴も持ち合わせていないので、
ある意味そういった誇れる実績があるのは羨ましいとすら思います。

そして、こういった「過去の栄光」を語る人たちは、
羨ましがられたい、尊敬されたいという思いが
あるんじゃないかなと思っています。

しかし、
過去に優れていた = 今も優れている
という図式は必ずしも成り立たないのではないかと感じたんですよね。

過去に優れていた = 現在も優れているではない

有名大学を卒業し順風満帆なキャリアを歩んでいる人もいれば、
どこで道を間違えたか、栄光とは程遠い人生を歩んでいる
なんて人が、あなたの身近にもいたりしませんか?

こう言った人は一様に
「〇〇大卒なのに、、」
というように、過去と比べて見劣りしているという風に
捉えられるんじゃないかと思います。

でもこれ、すごく疑問なんですよ。

だって、
学校の勉強ができる = 仕事ができる
わけなくないですか?

もちろん、一定以上の学力を備えている人は思考力そのものが素晴らしいですから
何をやらせても人並み以上に優れた結果に辿り着きやすい
という図式は成り立ちやすいとは思います。

しかし、必ずしもそうとは限らないと思うんですけどどうでしょうか?

人には適材適所というものがあって、
優れた営業マンが必ずしもプログラミングをやらせても優秀とは限らない
というのはビジネスの世界に範囲を限定すれば当たり前だと思うんです。

過去にその道で優れていたという人は、その延長線上においては
過去の実績が一つの「信用」としても機能するでしょう。
特に専門性が問われる職種においては、経験の長さ、難関資格を保持しているというのは客観的にみても頼れると思いますもんね。

それでもなぜか、
どこかで優れていた = 今も当然優れている
と思われている、思わせようとと考えてしまうのかがちょっとわからないんですよね。

そして過去の栄光を武器にしている人たちをみて私が注目するのは、
その人は今はどうなんだ
というところです。

今の自分に向き合う

なんとなく、過去の栄光で身を固めている人たちは
内心どこかで
今の自分に自信がない
のではないかと考えています。

だって、今現在誇れることがあるならそっちを看板にしますよね。
それなのにわざわざ古びて風化した看板を背負い続けているということは、
今リアルタイムで魅せられるものがないのかなと私は感じてしまうんですよね。

職場で昔はすごかった、大変だったと自慢げに語るおじさん社員を見て、
普段の仕事ぶりから見るにそうは思えないなんて図式はよく目にするのではないかと思います。

これなんかはまさに残念な例の一つですよね。
もしかしたら本当に過去はすごい人だったのかもしれない、
でもそれをいいことに今はなんの成果を上げていない人を見て
誰がリスペクトするんですかね。
少なくとも私には出来ないのですが、
それでもおそらく当の本人はそれで権威づけ出来ていると
勘違いしちゃっているんだと思います。

反対に、今現在誰からもリスペクトされるような人ってどんな人でしょう。
おそらく今現在進行形で優れた結果を出している人なのではないでしょうか。

だからあなたが今尊敬されたい、誇らしくいたいというのであれば、
やることは過去の栄光にあぐらをかくのではなく、
それ以上に今輝くことなのではないでしょうか。

少なくとも、過去に自分が輝くことができたことは
少なからず自分に適性があったということです。
そこをヒントに、
今自分が輝くためにできること
を考えてみるのはいかがでしょうか?

おわりに

スポーツでも音楽の世界でも、一様にレジェンドと呼ばれる過去の優れた実績が長年評価されている人はいます。
まさに今活躍されている大谷翔平選手なんかは生きる伝説と言ってもいいほどの
成果を残してきていますよね。
いつ天狗になってもおかしくないし誰も文句を言わないでしょうが、
それでも彼は今もなお常に自分を高め続けています。
そんな人間性も含めて私は彼のことを心から尊敬しています。

逆に、昔から活躍する私の大好きな海外の有名バンドが来日した際に、
これまで耳にしてきた数々の名曲たちに期待を膨らませてライブを見に行った時に、
ちょっとがっかりしたんですよね。
声は全然出てないしライブもまさかの30分程度で終了。
これは彼らに対するリスペクトが強かったからこそ
ショックも大きかったと思っています。

もちろん人間ですから、体力も技術も全盛期よりは衰えます。
だからこの件に関しては仕方ないか嫌いになることもなかったのですが、
それでも中には昔と変わらず素晴らしい演奏を奏で続ける、
もしくは年々研ぎ澄まされていっているような人もいますよね。

こういう人たちはおそらく常に自分を磨き続けることができていて、
だからこそ長年多くのファンが離れずに
むしろ増え続けていっているんだろうなと感じました。

私もこれを見習って、どこかで成功を味わうことがあっても慢心することなく
ブラッシュアップを続けるようにしたいですね。

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。

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