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私と卵と、これから。それから。

2021年、夏。卵子を凍結した。

昔から子供は好きだった。「いつか自分の子供が欲しい」と漠然と思っていたし、結婚して子供をもつことが「普通」で、自分も例外なく大人になったら結婚して子供を持つのが当たり前のことだと思って一度も疑わなかった。周りのみんながそうであるように、私もいつか自分の家族を持つ、そういう未来が間違いなくあると思っていた。
ところが2021年初夏、思い描いていた「家族と子供をもつ未来」、当たり前だと思っていた「普通」は訪れる気配すらなく、なんならパートナー候補すらいない状態で39歳の誕生日を迎えようとしていた。
はて、どうしてこうなった。。。

30代後半に差し掛かってから度々強く感じていた漠然とした不安。それを胸に、得体の知れない寂しさに押し潰されそうになりながらも毎日、自分なりに精一杯、生きていた。心の奥に消えない焦燥感を抱えつつ、39歳になっても、これまでと同じように日々が過ぎていった。
ちょっと大袈裟かも知れないけれど、時間がいつも通り過ぎていく中で自分だけどこか取り残されているような感覚になって、ただただ怖かった。
そして、すごく寂しかった。
学生時代からの親しい友人たちは結婚して子供を持ち、ずっと横に並んでいると思っていた彼女らの背中を、いつしかぼんやり遠く後ろから眺めているような、そんな気がしてならなかった。

追いつきたいのに、手を伸ばした先に欲しいものはなくて。
前に進みたいのに、進み方がわからなくて、ただただ怖くて、
そしてすごく、すごく寂しかった。

コロナ禍一人の時間が否応なしに増えたことで、その寂しさや焦る気持ちはますます肥大していったように思う。これまでは外に出て忙しくする事で、現実を直視しないで済んだから。自分の為に充実した日々を過ごして、時には演出までして寂しい気持ちを誤魔化すことができていたから。
だけど、そんな私も誕生日を迎え、とうとう現実と向き合う時がきたのだった。
というより、たまたま目にした卵子凍結に関するセミナーに参加したことで、半ば強制的に現実と向き合わざるを得なくなったのだった。

これは私が卵子凍結を決意するまでと、してからのお話。
あまりにも無知だった自分の経験が、誰かの役に立てたなら。
まだ若い女性にも、未来を考えるきっかけとなってくれたなら。
卵子凍結や不妊治療を考えている人、彼女たちを支える男性、女性、そして周囲の理解が少しでも進んでくれたなら。
不安で、想像していた以上に孤独だったプロセス。私の経験を共有することで、ほんの少しでもその寂しさや孤独感が和らいでくれたら。
そんな思いを込めて綴る個人の体験談。

本題に入る前に断っておきたいのは、これはあくまでも比較的健康な一人の独身女性の「卵子凍結まで」の体験を綴ったものであるということ。
「不妊治療を考えている人」にも触れたのは、卵子を体内から採取するまでのプロセスがある程度一緒だからであって、採卵(卵子を採取)した後は全然違う。一方は精子と受精を試みるけど、一方はその名の通り凍結保存する。だから、長年不妊治療をされてきた方の気持ちは計り知れないし、ここで深くそれに触れるつもりはありません。(プロセスが途中まで一緒と言いつつ、実際の不妊治療は他にも色々な方法があるらしいので、その点もご承知おきいただきたい。)
ただ、今回私が「卵子凍結」をする上で、不妊治療を経験した友人からのちょっとした共感の言葉にすごく救われた瞬間がいくつもあったから。同じ女性として共有できる部分があったし、女性同士でもっと情報共有して欲しいと思ったから敢えて触れておきました。

それともう一つ。
卵子凍結の為にクリニックに通って気づいたのは、私のような高齢出産予備軍的な人が将来を憂いて通院しているだけではないということ。若くして何かしらの健康上の問題で卵子を保存せざるを得ない人もいるのだ。
冷静に考えたらそちらのニーズがまずあって、結果としてさまざまな技術が進んできたのかもしれない。卵子を凍結する人の抱える思いは本当に十人十色。大きな健康上の問題もなく、求めれば選択肢があるというのは本当にありがたいことなんだなと、初診の帰り道に思ったことを覚えている。

とにかく、これは私個人の体験談。
それなりに健康なアラフォー独身女性のめっちゃ長い独り言。記録の為に書き始めた2021年から3年。今の私が振り返って思うことも交えて記していきます。少し長い連載になると思われますが、よければ最後までお付き合いください。

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