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あれから - 前代未聞の5敬遠

 本日(令和2年12月27日)の読売新聞朝刊に、28年前の夏の甲子園大会における「松井選手への5打席連続敬遠事件」のその後のストーリーが記載されていた。執筆は東京本社社会部の大井雅之記者(29歳)という方で、ご自身も大阪・履正社高校で白球を追いかけた方であり、野球経験者ならではの視点が他の記事と一線を画している。また、年齢から判断するにリアルタイムでこのニュースに接した経験がない記者だからこその客観的な視点が新鮮であり、非常に良質な記事だと思う。

五打席連続敬遠に対するそれぞれの思い

 舞台は1992年8月26日の甲子園球場。夏の全国高校野球選手権大会当2回戦の星稜(石川) - 明徳義塾(高知)戦だ。物語は当時の明徳義塾の投手であった河野和洋さんの視点を中心に展開していく。相手チームを勢い付かせないために、ピンチであろうがなかろうが松井選手を敬遠するというチーム方針のもと、スタンドからの野次に負けることなく、「皮膚の感覚がなくなるくらいに集中」して敬遠の20球を投じた責任感、あらゆる避難を一身に浴びる覚悟で全打席敬遠策を遂行した明徳義塾の馬渕監督の覚悟、「本当は1回くらい勝負したかったんじゃないか」と河野投手の気持ちを推測しながらも、「余計なことは一切言わない」と淡々と実況を続けた朝日放送の植草貞夫のプロフェッショナリズム、そして「隙あらば打つ」という気迫に満ちた構えを崩さず、敬遠されてもふて腐れることなく、相手を睨むこともなく、淡々を一塁に向かった松井選手の冷静な闘志など、それぞれの主人公がそれぞれの立場で全力を尽くしている様が書かれており、今更ながら胸を熱く打たれた。

「お互いに人生の糧にできた。2人とも勝者」

 明徳義塾高校の行為が、世間に受け入れられなかったことは容易に想像できる。「アマチュアスポーツらしくない」「正々堂々としていない」「高校生の教育に悪い」と、明徳義塾高校の宿舎に抗議の電話が殺到し、中には爆破予告の脅迫などもあったという。それも影響したのか、明徳義塾は次の3回戦で0-8と完敗し甲子園を去ることになる。

 私自身は、アマチュアスポーツの最大の目的は「勝利」であり、その目的を達成するためにはルールに抵触しなければ何をやってもよいとの立場を取る。逆に「プロ」であれば勝敗とは別に「興行」としてエンターテインメント性も求められているため、5連続敬遠などはまったく認めることはできないと思うが、周りの人間と議論しても、この考えに同意してくれる人は少数だ。ルールではなく空気を重んじる日本の社会性については今回のコロナを巡る自粛騒動にもよく現れている事象である。百歩譲って、高校生らしく正々堂々としていないという意見を認めるとしても、両校とも資金力に物を言わせて全国から優秀な高校球児を搔き集めている私立学校であり、その時点で他の公立高校との公正な競争環境が成立していないともいえるのではないか。元々「正々堂々」云々と言える様な状況ではないのである。

 いずれにしても、あの行為を巡る是非について、多くの人間が自らの判断基準に照らし合わせて自らの意見を持っているし、この論争は決着を見ないのは明らかである。でも、今回の記事が炙り出したのは、登場人物それぞれがそれぞれの信念に基づいて全力を尽くしていたことであり、これは決して第三者がたやすく口を挟める様なものではないということ。この記事を読み、筆者もそれぞれの人物の選択と行動にはそれなりの敬意をもって接するべきてあろうという思いを新たに持った。

 河野投手はその後、「大学では外野手として打ちまくってやる。そして松井選手と同じ舞台に立つ」と心に決めて東都大学野球リーグで強打者として活躍。社会人野球、米国独立リーグなどを経て、松井選手より長い41歳まで現役選手として過ごした。「あの夏がなかったら、その後野球をやっていなかったかもしれなかった」と言う。一方の松井選手は、「『5敬遠されるのもうなずけるバッターだ』と言ってもらえる選手にならなければ、との思いをエネルギーにして頑張ってこられた」と言う。そしてこう思うそうだ。「お互いが、あの出来事を人生の中でプラスにできた。つまり、どっちも勝者だと思うんですよね」と。

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