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『鎌倉殿の13人』第22回「義時の生きる道」(2022年6月5日放送 NHK BSP 18:00-18:45 総合20:00-20:45)

前回、義時(小栗旬)と八重(新垣結衣)の息子、金剛( 森優理斗[子役])を気に入った頼朝(大泉洋)は「金剛が元服した折りにはわしが烏帽子親をつとめよう」ということで、義時は「ありがたき、幸せ」と言っていた。金剛の元服は1194(建久5)年、13歳の時。頼朝から偏諱(「頼」の一字)を賜って「頼時」と名づけられた。「時」は北条氏の「通字」。「あれ? 金剛は泰時じゃなかったっけ?」と思って調べたら、頼朝の死(1199年)後に改名したらしい。死の穢れを避けてとのことと思うが、理由はよくわからない。

なんでこんなことを書くのかというと、今回、時政(坂東彌十郎)が曽我五郎(田中俊介)の烏帽子親であるということが重要なポイントであるから。曽我五郎の本名は時致(ときむね)なので時政から時の一字をもらっている。曾我兄弟と北条氏の関係は意外と深い。比企能員(佐藤二朗)と道(堀内敬子)が言うように曾我兄弟の仇討ちは北条氏の立場が悪くなってしまう可能性が高かったということにもなろう。それだけ烏帽子親のもつ意味は当時の武家社会では大きかった。同様に乳母も重要であるし、親戚の女性を有力者に嫁がせて姻戚関係を築くのも重要。今回は頼朝の娘・大姫(南沙良)入内の話や比奈(堀田真由)を頼朝の側女にと画策する比企の話なども出て来る。

さて、いよいよ上洛を決めた頼朝は義時の館を訪ね、「一緒に来てくれ」と言う。八重の死からまだ立ち直れない義時はいったんは断るが、頼朝が「これは命令じゃ」というとさすがに断り切れない。実際には上洛前のあれやこれやの準備で超忙しかったはずなので、感傷に浸っている暇などはなかったはず(というかそもそも八重との結婚そのものがフィクションなので)。上洛と簡単に言うが、頼朝と後白河(西田敏行)との会見準備は、義時をはじめ御家人たちにも相当な負担だったであろう。

1190(建久元)年11月9日、頼朝との後白河法皇との会見というまさに歴史的瞬間。弓矢で武装した御家人たちを院の御所の庭に控えさせ、その威勢を見せつける頼朝に対して一歩も引かずに「われらを亡き者にするならば、この日の本は治まらん。やれるものならやってみるが良い」と対峙する後白河はさすがであった。頼朝は「新しい戦のない世を作るには朝廷は欠かせません」と言うと後白河は「薄っぺらいことを申すのぉ。誰よりも業が深いくせに」と一笑に付す。後白河がもう少し長生きしていたならば、朝幕関係はもう少し違っていたでだろうし、当然、鎌倉時代全体もだいぶ変わっていたかもしれない。しかし、大天狗の寿命も尽きようとしていた。

歴史的会見は都合8度おこなわれたらしい。その間、御家人たちは鎌倉殿への愚痴を言い合っている。頼朝自身、重々承知だったからこそ、御家人たちを束ねるための称号や全国の守護を任されることなどが必要であったのであるが、御家人たちにとっては頼朝のエゴにしか見えず、不満である。御家人たちの宴会の場には範頼(蒲殿、迫田孝也)も同席している。この辺は範頼の人の良さというか、脇が甘いというか……。もちろん、この時点では比企能員(佐藤二朗)が「次の鎌倉殿は……」と匂わせても乗ってこないのだが。

鎌倉に帰った義時はみなしごたちの世話に翻弄させられている。実衣(宮澤エマ)は「結構、大変なことになっているみたいよ」と。驚いたのは、義時が烏帽子すら被らずに子どもたちの面倒を見ていたこと。これは珍しいカット。実際、当時の男性が烏帽子も被らずにいるというのはひどくみっともないことと考えられていた(「亀の前事件」で牧宗親の髻が斬られたシーンを想起しよう)のだから。子どもたちの世話でバタバタしているところに北条政子(小池栄子)が下女の格好で義時を訪ねてくる。この姉と弟のシーンは良かった。

京では愛妾・丹後局(鈴木京香)、後鳥羽天皇(菊井りひと[子役])らが見守る中、「守り抜いたぞ」という言葉を残して後白河は大往生。享年66歳。後白河の事績はとてもここでは書き切れないが、ドラマ的には東大寺大仏開眼供養で自ら柱をよじ登って筆を入れたという場面が挿入されていた。もっとも後白河が守り抜いたものが本当は何だったのか、現代にも続くこの大テーマは、最後のクライマックス、後鳥羽上皇vs.北条義時という形で視聴者に示されることになるのだろう。また是非それを期待したい。

後白河が死んですぐに頼朝は大将軍の官職を要求し、朝廷は頼朝を征夷大将軍に任じた。阿弖流為を討伐した坂上田村麻呂の吉例に倣ったわけであり、官位としては正二位。左大臣クラスである。そして、政子が千幡(せんまん、のちの実朝)を出産。乳母は阿野全成と実衣。占いでは吉と出たが、全成の不吉な予感は残念ながら現実のものとなっていくのであった。

1193(建久4)年5月、父・河津祐康(山口祥行)の敵である工藤祐経(坪倉由幸)を討つと時政に告げる曾我兄弟。善児(梶原善)がその庭でこっそりとそれを聞いている。また曾我兄弟は祐経を討つのに乗じて北条の兵を借り、頼朝も討つと比企能員に告げる。「面白いことになってきた」とほくそ笑む能員(佐藤二朗の真骨頂!)。

一方、景時(中村獅童)は善児情報をもとに「曾我の兄弟に怪しい動きがある。曽我五郎の烏帽子親は時政殿だ」と義時に告げる。義時は北条氏を守るために動き出すのであった。

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