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リエと腕に彫った中学一年の春

中1の時、根性彫りが流行っていた。
こう書くと、本当にヤンキー文化真っ盛りな私の青春時代。
木更津だったからだろうか。他の地域の人たちはどうだったのか気になる所だ。

根性彫りというのは、安全ピンなどで主に腕に彫るタトゥーで、痛さを根性で乗り越えるような意味でこの名称だったと思う。子供なので大々的に彫る人はいなかったが、好きな人の名前をかわいく小さく彫ったりしていた。
かわいいのか⁇

私の記憶では女子もやっていた気がする。占い雑誌の「マイバースデー」が全盛でおまじない的要素もあったのでは?と思うがどうだろう?
おまじないもブームだったので、好きな人の名前を掘ると両思いになれるという意味合いもあったのではないだろうか。
あの頃のおまじないは、今思うとほとんど呪いのような感じだったが皆ガチだった。
この間、同世代の方と話してつぼに入ったがお昼に心霊番組が普通にやっている時代だったのだ。お昼から恐怖を味わうのって凄いね〜とお互い自分の話ではない様に言い合ったが、あの頃はそれが普通で2人とも熱心なリスナーだった。

そしてやりたがりの私も、根性彫りに挑戦した。
しかし、肝心の掘りたい好きな人がいない。
色々考えて何を思ったのか私はその頃好きだった芸能人の名前をうっかり彫っていた。

宮沢りえさんの「リエ」と。

カタカナにしたのは、簡単に彫れそうという理由だった。
実際掘ってみると線だけでいけて宮沢りえ感が薄まって良かった。
皆に彫った腕を自慢したかったのもあって「宮沢りえ」と彫ったとバレるのは恥ずかしかった。
でも掘るからには本当に好きでないと嫌だという気まぐれ中1ボーイ。

友達に何気なく彫った腕を見える様な動きをして案の定
「リエって誰?」と聞かれると、言おうと考えていた、
「違う中学の子なんだ」
というセリフを間髪入れず答え悦に入っていた。

私が宮沢りえさんを好きになったのは、やっぱり姉の影響で見た「セブンティーン」のモデルとしての活動が始めだった。子供ながらに圧倒的なオーラを感じ、彼女を見るだけで幸せな気持ちになった。
今、気になって当時のセブンティーンを検索してみると彼女だけで一冊見たいと思わせるまるで写真集の様な表紙だった。
残念ながら雑誌としては、先日お別れとなってしまったが、タイトル文字が昭和レトロっぽい感じだった。こんなだったっけ……。こんな時に自分が過ごした昭和と対面する。
確か私もセブンティーンの表紙をやらせてもらった気がするのだけど、どうだったっけか。モデル時代の記憶が薄くなってます。

その後、宮沢りえさんとは4回ほど実際にお見かけした。

1度目は90年代初頭24時間テレビで武道館でライブがあると聞き、観に行った時。一緒に行ったのは、その頃光G E N J Iのファンでコンサートを一緒に行ったりしていた猿ちゃんだったかな。私の付き添いで付き合ってくれたんだよな。
ライブの前にリハがあり、宮沢りえさんが出てくるのを今か今かと待っていると、リハで出てこられたのは、スタンドイン(さん)と言われる照明やカメラの動きのリハの為に居られる方だった。本人じゃないんだぁと、知らない業界の大人な世界に触れた気持ちになったのを覚えている。

その次は私がオーディションを受けた「僕らの七日間戦争2」の最終審査での事だった。大きな会場でテレビの取材なども入ったオーディションで、奇跡的に私だけ素人で男性10名の中に残っていた。女性も10名でその中で得意なものを披露したり、質疑応答、台本をもらって演技をしたりした。
私は何のレッスンも受けていなかったのもあって、演技はボロボロ、得意なものを披露する場面では、その年たまたま中学の文化祭で友達の日本舞踊の先生(同級生だが、既に先生だった)と一緒に踊った習いたての日本舞踊を披露してしまった。事前にスタッフの方に、相談に乗ってもらって決めたはずだったが、本番で披露しながら、たった1週間くらい練習しただけの日本舞踊を何故俺は得意と言ってしまったんだと、後悔しながら踊っていました。素人とはいえ、さすがに会場の「ポカーン」とした冷えた雰囲気は伝わってきた。今思うと恐ろしい状況ですが、若さゆえの無鉄砲さは素晴らしいとも思う。
私は、この頃オーディションが趣味かの様に狂った程オーディションを受けていて(多分、ハマってたのもあると思う。なりたい気持ちは勿論あったが、それよりも東京に行けたり知らない世界を見るのに興味津々だった)
今考えると、ヒィーと背筋が凍るエピソードだらけ。
例えばテレビで歌が好きと言い張り、詩が全て英語の曲を歌い上げたり。(どちらも好きではあるが得意ではない)強メンタル!

結局最終審査には落ちてしまったが、選ばれた方々にトロフィーを進呈する役として宮沢りえさんが登場したのだった。
私たち参加者は聞かされておらず、
「それでは、前回の主演の宮沢りえさんの登場です〜」といきなり司会者が言った時には倒れそうになった。

間近でみるりえさんは、この世に生きている妖精っているんだと思うほど私が生きる世界の次元とは違って見えた。周囲にキラキラとした光が放たれ、蝶々や小鳥などの小動物たちと彼女が歩く道にはお花畑が出現しておりました。
私はそんな彼女の実在を間近で見れただけでありがたく拝みたくなる様な気分になり、ひとり「今回俺優勝!」とガッツポーズを胸に宮沢りえ余韻に浸りながら内房線に乗ってふるさと木更津に帰った。

時代の前後関係が怪しかったので、りえさんのwikiを調べてみると私が好きになって会うまでに約2年、1年ちょいの間に先程の2回会っていた。
りえさんはデビューからほんの数年というすごいスピードでスターの道を駆け上っており、私もすごいスピードでりえさんに接近してます。
当時のりえさんは信じられないほど忙しかったんだろうなぁと感慨に耽りました。
って、誰目線だかわからないですがすいません。
 
その後は、たまたま街でお見かけしたり、宮沢りえさんとお仕事されているという方も結構現れておりました。私はファンの立場から離れられない性格で、プライベートでお話がしたいとか、お仕事をご一緒したいという思いは一切なく、フィルター越しでお元気なお姿を見ているのが幸せ。今でもそっと応援してます。

そして私がもっと歳を重ね、記憶が遠くなったとしても中学の時にリエと腕に彫った思い出は、いつまでもまるではかない初恋の思い出の様に私の心にそっと刻まれている気がするのだ。

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