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47年間で身につけた"何かを無理矢理でも好きになれる"特殊能力

先日、47歳になりまして。誕生日と会社設立日、この2日はあらためて自分を見つめ直す日にしている。1年前の誕生日に感じた"たくさんの人に生かしてもらっている感覚"もnoteに綴った(大きな反響ありがとうございます!)。

年齢でいうと"50"という人生100年時代の折り返しが見えてきた。

とても元気で過ごせたのなら、まだ50年生きることが出来るかも知れないという、計算ではまだまだ人生の真ん中あたり。周りにはイケてる元気な先輩がたくさんいて60歳70歳でバリバリ元気なもんだから、47かあ、まだまだ若いなあ!なんて言ってもらえて47歳なんて全然まだまだ小僧だと感じてしまう。

かわいい娘たちはまだ6歳と4歳なもんだから働けるかぎり働きたい。働かねばならない。幸い仕事に関しては、いま1ミリも曇りなく、妻曰くそれを「趣味」だとちょいとdisりながら言ってくれる。将棋やサッカー、ゴルフに仕事と、すべてが並列で、なんなら仕事が一番の趣味に見えるようだ。仕事が遊びで遊びが仕事。avex時代に学んだ素敵な言葉だ。

昨年(2021年)あるテレビのお仕事を1年ほどやらせてもらった。毎週月曜日は生放送、水曜日は企画会議。面白くする!というテレビマンのみなさんのマジ姿を1年間見させてもらったのは、音楽出身の僕としてはとてもとてもすごい経験だった。

プロのテレビマンたち。プロデューサー、演出、フロアさん、タイムキーパー、たくさんのプロが集まり、どこまで面白くできるか突き詰めるオフェンスと、絶対に放送事故(という言い方で良いのかしら?)を起こさないディフェンス、見事な調和とバトルによるチームワークのもと毎週、生で放送されていく。

テレビの方からしてみたら当たり前の世界なんだろうけど、かなり近い位置で1年ほど関わらせてもらい、面白い番組にする!という番組づくりの熱量を直接みてきたことで、自分の中に感じた何かが確実にあった。

長く音楽の仕事をしていて、とても恵まれているな、と思うこともたくさんあって。

僕がある音楽家の担当になったのは、いまから10年前、2012年春。その頃の話。ある日、その音楽家はスタジオで作曲を続けていて、スタジオの重い扉が開いたのは、深夜2時くらいだろうか?フラフラっと出てきた音楽家は少しニコっと(したような感じ)しながら「出来たけど、聴く?」と言ってくれた。

スタジオに入ると、制作を終えたその曲を大音量で流してくれた。生まれたてでまだまだ荒い部分が残るその音は、いままでに体験したことのない衝撃的な音で桁違いの熱量だった。あ、これが曲の誕生した瞬間か、と。なんとも表現出来ない感情で全身が震えた。

この熱量をどうしたらそのままファンの方に世の中に届けられるだろうか?いま思えばそれがネットやSNSと真剣に取り組み始めたきっかけだったかもしれない。

自分の生誕の話に戻ると、振り返れば自分のスペックというものは、あまり誇れる部分もなく、めちゃくちゃ頭が良かったわけでも運動能力が高かったわけでもなかった。しいていえば多少器用だったかな?くらいで、実家も別にお金持ちでもなんでもなかったし、東京って外国か?と思うくらいの時代の新潟県三条市の生まれだ。

そんな僕にも、これは特殊能力か?と気づいたのは40歳を過ぎた頃。やりたくないことでもいつのまにか楽しんでいた。僕はおそらく何かを無理矢理でも好きになれる能力が割と高いかもしれない。たぶん自分が持つ他の能力よりは圧倒的に抜きに出ている。

この何かを無理矢理でも好きになれる能力は、47歳になるまでの間、知らぬ間にいろいろな場面で発揮され、それは、僕の弱小だったチャレンジ精神をいつのまにか磨きあげ、やってみたらなんとかなるに決まってる精神を鍛えてくれた(と思う)。これは親に感謝だ。

いま思えば、やりたくないなと思う業務もたくさんあったし、サラリーマンだしやるか、、、くらいの気持ちでやりはじめたこともあったのかもしれないが、気づけば、その仕事をめちゃくちゃ楽しめたし、楽しいから突き詰められたものが多い。占いによるとB型だからかな?

突き詰めるとそこには不思議と学びや出会いがあって、自分では気づいていないうちに何かの考えや技がほんの少しかもしれないけど身について、そこから広がった人脈や、そのほとんどがいまの仕事に繋がっていたりするから人生は不思議だ。

大好きなラジオ番組がある。KBS京都ラジオで放送されている「らぶゆーきょうと」だ。吉本興業の大﨑会長とビリギャルの著者・坪田信貴さんの番組だ。記憶に残る言葉がある。

小さな希望さえあれば、どんなことだって楽しい

らぶゆーきょうと

大﨑さんは仕事と向き合う中、いろいろな理不尽なこともあるかもだけど「小さな希望さえあれば、どんなことだって楽しい」と思うんだ、とお話しされていた。そうなんだ。ほんの少しの光や楽しみを見つけるんだ。見つける心、見つける方法をどう持つかなんだ、と。

47歳。僕は何かを無理矢理でも好きになれる能力を使って、めちゃくちゃやりたいことがある人たちを全力でサポートしている。それはトップエンターテイナーたちの熱量を間近で見ている意味だと思っている。

音楽、映画、インターネット、活動者、発信者、クリエーター、とのお仕事は、彼ら彼女らとともに、ほんの少しかもしれないけど、僕は世界を優しく楽しく幸せにしたい。すべての仕事は誰かの幸せとつながっている。どんな仕事、どんな命令でも、必ずどこかに、楽しめるポイント、愛すべき一面が隠れている。


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