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「3・11のキャンドルナイト」開催に敬意を表します

note記事です。ぜひお読みください。
ろうそくを灯し震災・原発を思う 「311のキャンドルナイト」|生活ニュースコモンズ ※新サイトに移行しました (note.com)

能登半島地震犠牲者を追悼するつどいは、私は阪神淡路大震災の「117のつどい」のような追悼のつどいは行われない、関係者だけの式典だけになるのではと危惧しています。
 
以下は2023年の3月11日に投稿した記事です。ゴシック部分だけでも読みいただけたら幸いです。
 
東京直下地震のなどの被害想定が19年ぶりに見直されました。
 
特集 首都直下地震の被害想定と対策について(最終報告)‐内閣府防災情報のページ : 防災情報のページ - 内閣府 (bousai.go.jp) 特集 首都直下地震の被害想定と対策について(最終報告)‐内閣府防災情報のページ : 防災情報のページ - 内閣府 (bousai.go.jp)
 
死者約6100人、負傷者約9万3400人と想定されていますが、どの地域で、どのような理由で、死者や負傷者が出るのかの根拠は示されていませんが、「予測して備える」は安全管理の鉄則であり、誰もが当事者意識を持って防災・減災害に備える必要があります。
 
そして、今を生きる、地震大国日本の全国民が忘れてはいけないのが、3・11東日本大震災です。しかしながら、被災11年の昨年は「一部の人たち」だけの3・11になっていないか、はなはだ疑問です。安全管理の講演講師でもあった私は「いずれこうなる」と予測し、当初から何かできることはないかを模索していました。
 
そして、毎年の3・11日のキャンドルナイト企画にたどり着きます。
 
以下の引用文をご覧ください。1983年4月の東京ディズニーランド開園前の記録の一部です。関連性がないと思われるでしょうが、後段に記す私のキャンドルナイト企画に関連していきます。
 
<引用開始>
東京・都心の日本橋にある百貨店に行き、商品事業の委託化を打診したが断られた。
 
「冗談じゃない、われわれが遊園地に出るわけがない・・・」
 
保守的な意識の隔たりに驚嘆した。結局全て飲食・商品は直営で行った。
<引用終了>
上澤昇オリエンタルランド元副社長著 
『ディズニー・テーマパークの魅力-「魔法の王国」設立・運営の30年-』
実践女子大学生活文化研究室顧客サービス・e-セミナー・テキスト①  2003年7月14日
 
「3・11から1年のあの日」と日本を代表する都心の百貨店の関係について述べますが、この記事を通じて、東日本大震災の犠牲者への追悼の念を表する方法が、日本武道館の「式典」と「黙とう」だけで本当に良かったのか、改めて考えていただけたら幸いです。
 
【公式】阪神淡路大震災1.17のつどい (117notsudoi.jp)
 
2023年の追悼の日
 
5時ごろ  2回目希望の灯り分灯
竹灯籠・紙灯籠へ灯りを灯してもらいます
5時46分   黙祷
5時47分   ビーナスブリッジ会場で奏でるトランペットの演奏音を東遊園地で放送
5時50分   希望の灯り・水盤に献花
16時半ごろ 紙灯籠・竹灯籠 再点灯開始
17時46分  黙祷

<引用終了>
 
キャンドルナイトとは
キャンドルナイト - Wikipedia
 
スローライフと無関係に同様のことが行われた例として、トーマス・エジソンの死に際して、弔意を表すため全米の電灯が1分間消灯された例、グラハム・ベルの死に際して、ベル電話会社(現在のAT&T)の利用者が通話中1分だけ沈黙してその死を悼んだ例がある。
<引用終了>
 
ここで、「人と火」の関係についての話を少し。
 
昔より人々は、火のまわりにつどい
喜びや悲しみを互いに分かち合ってきました
そして、親たちは
わが子が成長し、新しい家を持つとき
我が家の火を持たせたといいます
 
結婚式で司会者が、キャンドルサービスが始まる前、静寂の中で発するこのナレーション、喜びや悲しみを分かち合うことを決意した二人の、家族への思いが伝わります。
そして、東日本大震災から1年を迎える2012年の2月末に、次のような報道を知りました。それは、「諸外国のメディアが日本各地の1周年の様子を取材しに訪れる」というものです。私は、「日本国」における1周年の追悼式典が、天皇陛下をお招きしての、日本武道館で行われる式典だけであることを知っていました。その上で考えました。
 
“あれだけ”海外からの温かい支援を受けたのに、日本国民として、式典と黙とうだけで良いのかと。

最初は少人数でもいい、火とともに悲しみを分かち合い、明日への希望につなげるキャンドルナイトはできないか、私は「クラフトフェア」を企画し運営した経験もありましたので、「デパートの屋上などで小さなキャンドルを使っての追悼の集いは可能だ」と考え、すぐに実行に移しました。
 
最初に企画を持ち込んだのが埼玉県の丸広百貨店でした。店長であったか、イベント担当の責任者の方であったかは忘れましたが、真摯に対応していただき、キャンドルナイトの件についても賛同の意を示してくださいました
 
それでも、「他の百貨店の賛同があれば」という条件がついたため、即日、新宿の三越を訪れ口頭で企画案を伝えたところ、三越のイベント担当は銀座店であるとの説明でした。新宿店を訪れた理由は、新宿店の閉店を報道で知っていたからです。三越新宿店の顧客の賛同も得られると考えました。


新宿三越アルコットが閉店、83年の歴史に幕 (fashionsnap.com)
 
その後、三越銀座店でここに至るまでのことを話し、賛同を求めましましたが、対応した社員の方は「門前払い」、責任者にも会わせていただけませんでした。まさに、

「冗談じゃない、我々が・・・」

と、迷惑そうな対応であったことを今でも思い出すことがあります。
 
冒頭に「冗談じゃない。我々が遊園地にでるわけがない」と書いた理由をご理解いただけると思います。もちろん、その百貨店が三越であったと言っているのではありませんが。
 
あの日から12年、残念ながら以下のような報道を目にします。
 
東日本大震災の追悼式開催、8市町村のみに 「遺族の言葉」も減少:朝日新聞デジタル (asahi.com)
 
外国メディアは、東日本大震災1周年のあの日の日本をどのように報じたのでしょうか。

あの日、デパートの屋上などでのキャンドルナイトに賛同いただければ・・・。自分の力不足を恥じるばかりです。

※写真は3・11前の南三陸町の荒島神社



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