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日本でキリスト教が広まらない理由④ 決定的理由

日本でキリスト教が広まらない理由の最後に、私が決定的な理由と考えることを記します。
 
日本でキリスト教が広まらない理由の決定的理由ですが、以下の引用文を熟読して頂ければ、私がコメントしなくともご理解いただけると思います。前段では、「民主主義社会 自己肥大と他己萎縮が進行し、伝統や規範性が失われて、社会は崩壊の危機に瀕するようになると考えられるのです」と、ハッとさせられる一文も含まれています。
 
人間精神学研究所 社会問題 民主主義
http://www.tvt.ne.jp/~hibikist/newsub1syakai.htm
 
欧米人の精神的バックボーンになっているのが、キリスト教という、唯一絶対なる神への信仰だということを、明治政府の高官たちは痛感し、日本も同様の思想を持たなければ、とうてい列強に伍していくことはできないと考えました。そのために利用されたのが復古神道でした。キリスト教に習って、天皇を万世一系の現人神(あらひとがみ)とし、質素・勤勉などの点でキリスト教と共通性のある儒教を、倫理・道徳的な支えとしたのです。
 このような政策は国粋主義思想・ナショナリズムとなり、無謀な日中戦争・太平洋戦争の開戦を招いて、当然の帰結であった敗戦へと進みました。その後、進駐軍による占領政策の中で、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重を三原則とする新憲法が制定されましたが、日本にとって不幸なことに、そこでは、他己(※他人が見た自分、他者が捉えた自分の在り方 weblio)となる思想としての宗教が、徹底的に否定されました。こんなことは、先進諸国に類を見ない事態なのです。
<引用終了>
 
同じ敗戦国ドイツのメルケル前首相はキリスト教民主同盟という名の政党に属しています。①の、五木寛之著『神の発見』で記した思想としての「和魂洋才」は、元々キリスト教が思想的基盤であったドイツと異なり、文字通り「思想としての宗教が、徹底的に否定されました」なのです。
 
最後に、『神の発見』から以下の文を再引用しておきます。
 
 敗戦後のこの国が、なんとなく好調に走り続けてこられたのは、たぶん、無魂という制約なき身軽さによるものだろうと思われる。魂というものは,つねに人びとの心や社会にブレーキとして働くものだ。
 「そこまでしてはいけない」「そうすべきではない」というブレーキが外された車は、当然、他の車より早い。めざましく疾走し、そしてやがて転覆する。
<引用終了>

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