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人として、親として

人は、「子供」から「おとな」へと無段階で成長するものだろう。

そして、結婚を経て、普通のただの「人」から「妻」とか「夫」という立場に「メタモルフォーゼ」する。

この言葉は日本語で表すと「変態」ということなので、うっかりすると別の意味に因われかねないのでいつも原語で(たぶんドイツ語だったと思う)使うことにしている。

「変態」とは、解りやすい具体例でいうと、青虫からサナギへ、そして美しい蝶への変化の瞬間である。

さて人生の中で最大の「メタモルフォーゼ」は「親」となる時である。

これはまさに「一大事」なことで、蝶のように華麗に飛び回るなどという離れ業なら理想的だが、実情は、日々困惑、あたふたの連続である。

私は今は、70をとうに過ぎた爺さんだが、振り返ってみて、幾つかの自分ならではのルーティンがある。

時に応じて、2歳時から小学生くらいまでは、あぐらをかいた膝の上で、中学生、高校生、のころは眼の前に座って、いつもきまって言い聞かせたことがある。

「お前は今、いくつになる? 3歳? そうか、じゃあお父さんもお前のお父さんを始めて3年になる。まだまだ知らないことや、分からないことがたくさんある。お父さんは、歳はお前よりずっと上だが、お前のお父さんとしては、お前と同い年なんだよ。
そこのところだけは分かって欲しい。お前は自分の人生を毎日初めて経験しているが、父さんだって、「お前の父親」としては、毎日が新たな経験なんだということを。

だから、思いがけないこともあるし、失敗もある。さらにその上に時代が違う。

お前が何かのことで、失敗したり、悩んだり、どうしていいか分からないときは、たぶんお前と「父親としては同い年」の私も同じだなんだということが分かって欲しい。

だから、とにかく一緒に、とにかく一緒に、考えて対処してゆくしかない。
ひとつだけ忘れてもらいたくないことがある。それは、それでも私はお前の「親」だと言う事を。
私だって、毎日毎日、生まれて始めて、今のお前の年齢の父さんをやっているんだということをだ。

まあこんな感じでずっとす過ごしてきました。

私には長男と二人の娘がいますが、今はすでに成人して、それぞれ生きています。
そして、上に書いたことは、結局何人こどもがいても殆ほとんど何も変わらないということです。
確かにある程度の経験値は役に立つけど、個性は様々なので、結局いつでも毎日が「初舞台」状態ということです。

冒頭で、子育てで気にかけていたことが2つあると言ったかと思う。もう一つは、叱るときだ。

私がまだ小さい頃、私の母は、わたしが何か悪さをしたり、ふてくされていたりすると決まって「あら ○○ちゃんらしくないわね」と言ったもんです。
そう言われると、「私らしい人というのはどんな人なのかと考えさせられたものです」
それでこんな風に思ってしまったりするんですね。
「自分はひょっとすると、ほんとはもっといい子なのかも知れない」・・なんてね。
きっと、そんなとき人は自分本来のセンスを取り戻す、つまり、本心に立ち返るのかもしれない。

そして親になってからそれを思い出して、「なるほど、『おまえは悪い子だ』と怒られれば、そうか、自分は悪い子なんだから悪いことをしても不思議は無いんだと思ってしまうかも知れないが、『おまえはいい子だ』と言って叱られるなら、そうか自分はいい子なんだから、こういうことは自分には似つかわしくないことなんだなって思うようになるかもしれない」と思ったりしました。

ですから、こどもが小さい頃、叱る時はいつも、「それって、お前らしくないと、父さんは思う。一番自分らいしいお前はどんな人なのか」と叱っていました。

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