2-1:モトとは何か(人生はなぜ辛いのか?と思ったときに読む『モト』の話)

第二章(章題未定)

2-1【モトとは何か】

『モト』の話をはじめよう

 ではいよいよ、モトについての詳しい解説を始めます。
 この章には新しい概念や言葉がたくさん出てくると思うので、無理に一度で理解しようとせず、少しずつ読み進めていただくといいかと思います。


モトとは何か

 まず「モトとは何か」という話です。モトについては、前章で「ココロの燃料」だとか「モノを作る材料」だとか説明してきましたが、この章ではもっと詳しい説明をしていきます。

 モトとは何か・・・ズバリ「素粒子」です。

 素粒子というのは、この世にあるものを細かく細かく分割していくと最後にたどり着く、これ以上分けることのできない一番小さなツブツブのことを言います。

 古来から多くの哲学者や科学者がこの「素粒子」とは何か? という思索や研究を重ねてきました。古くはギリシャの哲学者たちによって、最近は世界中の物理学者たちによってこの「素粒子」を見つけ出す試みが続けられています。
 古代では、神秘的な側面から「火・水・風・土」の四元素が万物の根元であるとされたり、近代では分子や原子といった粒子が素粒子ではないかとされてきました。
 最新の研究では、原子を造るさらに細かい粒子である電子や陽子、そしてさらに、それらを造るクオークやボゾンという粒子などがより素粒子に近い存在として発見されてきました。
 つい最近のニュースでは、ヒッグス粒子という「質量の元」になる粒子が見つかったという話です。いよいよ、僕らの科学は本当の「素粒子」に迫っているといったところでしょうか。

 さて、僕の言う「モト」は、おそらくこういった研究の先にある、真の「素粒子」を想定しています。すべての粒子はモトを組み合わせて作られているのだ、というのが僕の見解です。
 もちろん、最新の科学技術を駆使しても、まだこのモトの姿を直接観測するには至っていません。ですから僕はここで、科学的な根拠をもって「モトこそが素粒子だ」ということを説明していくつもりは、今はまだありません。
 いずれ科学が進み、僕のいう「モト」が直接観測できるような方法が見つかるかもしれません。だからそれまでは、どうしても僕の「モトの話」は、想像の範囲を出ない話になります。与太話のようなものです。

 「はじめに」でも書きましたが、僕の話を信じ込まないように、というのは、この辺りを根拠にしています。必ず「ホントかよ!?」という気持ちで読み進めてくださいね。


モトは『素粒子』

 では本題に入りましょう。
 「モト」というのは、この世界にあるすべての元・基・素になっている、とても小さなツブツブです。僕たちが普段見ているもの・触れているものは、みんな元をただせば「モト」をたくさん組み合わせてできていることになります。
 それだけでは、ただの科学講座になってしまいます。僕のモトの話には、まだ続きがあります。
 モトは、実は僕たちが普段見ることができないもの、例えば僕たちの「ココロ」をも形作っています。

 新しい概念の話だと思うので、もう一度書きます。

 この世界にあるすべてのモノと、僕たちのココロは、同じ素粒子である「モト」からできているのです。

 この考えが、僕の話のキモになります。この世界にあるもの、そして「ない」ものも、みんなモトからできている、という考えです。

 この本は「人生の辛さ」に向き合うための本なのですが、そのためにはまずこの「モト」の概念と、そこから考えられる「人生が存在する理由」を理解する必要があると、僕は考えています。なぜなら、人生が辛いのは

「人生なんてものが『ある』から」

だという、とても根本的な考えをもとにしているからです。
 ですから、人生を辛くなくするためにも、ここでモトのことをちゃんと説明して、それをもとに、僕たちの目の前にたった今展開しているこの

「人生」というものは一体「どういう現象」なのか?

という話をしていきます。

 モトの話は、どうしても理屈っぽくなってしまいます。なぜなら「仕組み」についての話だからです。理屈っぽい話が苦手だという方は、今は軽く読み飛ばしていただいて、後の章で「あれ?」と思ったときに戻ってきていただくのもいいかもしれません。


モトは「消滅」する!?

 では、モトの仕組みをさらに詳しく解説していきましょう。
 モトは「素粒子」だと書きました。粒子・ツブツブだというと、なんだか空気のようにふわふわと空間を漂っているもののようなイメージを持つかもしれません。
 まあ、それでも大体合っているのですが、モトの不思議なところは、空間をふわふわ漂っているかと思えば、パッと「消滅」したりすることもある、というところです。

 もう一度言いますよ? モトは「消滅」することがあります。不思議ですよね・・・。

 そしてさらに。消えてしまうことがあるんだから、パッと出現することもあるのです。いいですか? モトは時に、何もない空間にいきなり「出現」するんです。

 まとめると、モトはこの世界にあるすべてのモノを形作るものですが、それは素粒子単位で見ればときどき(いえ、どちらかというとしょっちゅう)「消滅」したり「出現」したりしているんです。


動いているのに「動かない」素粒子モト

 どうしてこんなことが起こるのか・・・その説明もちゃんとあります。

 この説明も、先程の説明と同じくらいビックリ! な内容になると思うので、覚悟してください・・・。

 実は、空間をふわふわ漂っている素粒子である「モト」は、空間の特定の座標から動きません

 ・・・混乱していると思うので、もう一度書きますよ。

 モトは移動しません。

 「え!?」という感想ではないかと思います。だって、僕たちが「動いている」と思っているものが実は「動いていない」と書いているんですから・・・もうちょっと詳しく書きますね。

 ご存じの通り、この世界は「三次元空間」ですよね。縦・横・高さがある「空間」によって、僕たちの世界はできています。
 三次元空間には「座標」というものがあります。座標とは位置を表す言葉です。今あなたがいるところから右に1メートル、奥に1メートル、高さも1メートルの地点、といった具合に、空間の特定の場所を示すものです。
 モトのある場所というのは、この「ある座標」にひとつ、と決まっています
 もちろん、となりの座標にもモトがあります。そのとなりにもモトがあります。そのとなりにもとなりにも、ずーーーーーっとあります。もちろん、上にも下にも奥にも手前にもモトがあります。

 実は「モト」は、僕たちが存在するこの三次元世界に『ギッチギチに詰まった構造』をしている素粒子です。

 ・・・混乱しているかもしれないので、もう一度書きますよ。
 この世界にモトのない場所は、モトのない座標は存在しません。三次元空間のあらゆる座標にモトが詰まっています。この地球上はもちろん、宇宙空間も、全部ぜんぶ、ギチギチにモトが詰まっている構造をしています。


モトが世界を作っている仕組み

 こんな風に書くとおそらく「そんな馬鹿な!」という感想を持たれるのではないかと思います。モトが空間にギチギチに詰まっているのなら、僕たちは普段どうやって生活しているのか? と。
 僕たちは日常でしょっちゅう空間を移動しますし、他の物体も移動しますからね。僕たちや物体を形作っているのがモトだというなら、モトが「移動しない」というのは矛盾してるのではないか・・・。

 確かに、もっともな疑問です。ですが、僕の説明はにもうちょっと続きがあります。

 さっき、モトについて書いたとき「モトは消滅したり、出現したりする」と書きましたよね? 実は、あの現象はこの「すべての空間にモトが詰まっている」という説明と組み合わせて、初めて現実味を持ってくるんです。

 実はモトというものは

 その場で動かないのに、消滅したり、出現したりする粒子

なんです。
 ちょうど豆電球のようなものです。スイッチオンで点灯し、オフで消える。モトもただその場で「有」だったり「無」だったりするんですね。

 ここから考えられる、僕たちが生きているこの三次元空間というものは・・・実は「電光掲示板」のような構造をしているのです。


この世界はモトによって『表示』されている

 とても新しくて、信じられない話だと思うので、やっぱりこれももう一度書きます。

 三次元空間という場所は、モトを使って色々な物体を「表示」している『電光掲示板のような構造』をしています。

 僕たちが今見ているモノ(この本とかです)は、空間のとある座標(あなたの目の前とか)に、

「モト」で表示されている

のです。

 もちろん、僕たちのカラダもそうです。あなたのカラダもたった今、モトによって空間に表示されています。
 でも・・・ほら、カラダってある程度自由に動かせますよね。手を上げようと思ったら上がるし、歩こうと思ったら歩けます(すみません、これは人による部分はあると思うのですが、一般論としてです)。これって、どうなってるの? という感想をお持ちの方も多いでしょう。

 実はですね・・・物体の移動というのは、モトの「明滅」によって表現されている現象なんです。

 先程、三次元空間が「電光掲示板」のようなものだと書きましたよね。
 電光掲示板というのは、板の上に並べられた豆電球やLEDによって、絵や文字が「動いて見える」道具です。
 僕たちが普段暮らしているこの世界も、実はこの電光掲示板と同様、消滅したり出現したりする「モト」によって「表示」されているアニメーションなんです。


実在する「みせかけ」の世界

 もちろん、僕やあなたのカラダも例外ではありません。たった今、モトによってとある座標に表示されているあなたのカラダは、次の瞬間にはまた別のモトによって「表示され直して」います。
 歩いたり走ったりしているなら、その速度でモトが明滅しています。さっきまでいた空間のモトが「消滅」して、その先の空間のモトが「出現」しているんです。
 これを、ものすごいスピードで繰り返しながら、この世界の時間は流れています。とある瞬間のとある座標のモトが出現したり消滅したりして、次々と物体を表示し直して、モノを動かして「見せ」たり、あなたのカラダを動かして「見せ」たりしているんですね。


モトはこの世に「ない」ものも形づくる

 そして・・・ほら、モトは「ココロの燃料」だと前章で書きましたよね。ココロもまた、モトの明滅によって動いています。
 ココロというのは、実はとても薄いモトの集まりでできています。モトというのは、すごくたくさん集まると物質になりますが、物質になる量を満たさない場合は、僕たちにとって目に見えない抽象的な存在になります。
 そう、ココロとか魂とかいうものです。そういう目に見えないけど、確かにあるようなものも、やっぱりモトでできています。


 ※ご注意:この先「モトが増える」「モトが減る」という表現が出てくると思いますが、それは「空間に固定されているモト」がそれぞれ「無から有の状態に変わる」「有から無の状態に変わる」ことを表しています。モトそのものの「個数」は増減しません。
 しませんが、僕たちの人生にとって重要なのは「有」の状態のモトがどのくらい存在するか、ということなのです。ですから「『有』状態のモトが増加する」ことを「モトが増える」と表現します。逆も同じです。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)