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【14日目】「恐怖は見つめると消える」という話と『あの昆虫』の話(カンジョウのトリセツ)

◆恐怖の感情には「メカニズム」がある

 恐怖を乗り越えるためには「アタマ」を使おう、という話の続きなんですけど、その前に少し復習です。僕たちはモトというものの観点から

・カラダ
・アタマ
・ココロ

という三つのパーツの集合体なんでしたね。さらに、感情の起こるプロセスというのが

・カラダ(見る・聞く・感じる)
  ↓
・アタマ(それが「どういうものか」)
  ↓
・ココロ(感情)

というものでした。ですから「アタマ」に「〇〇は怖いものだ」という『考え(無意識の信念)』があるからこそ恐怖という感情がココロから出てくるんでしたね。このメカニズムを忘れないで下さい。

◆恐怖の『イニシャルG』

 では今回は、怖いものの代表選手である「ある昆虫」の話をします。ニガテな方には本当に申し訳ないのですが、こういうものも「アタマ」でとらえ直すと、何か生きていくためのヒントみたいなものが見えてくるんじゃないかと個人的に思っています。

 それは台所やトイレなどに急に出現する、黒い、または茶色い昆虫の一種です。ここでは仮に『イニシャルG』と呼びましょう……

 僕自身この『イニシャルG』があまり好きではありません。今でも家に出現したら、ギョッとしてあわててしまいます。できるだけ出現しないようバイト剤などで防いではいるのですが、ときどきそういう防衛線をすり抜けて出現してしまう個体がいるんです……大したものです。

 今はもうだいぶ慣れたのですが(昔住んでた家がすごく「出る」家で、駆除しまくっているうちに慣れてしまいました……)、子供の頃は本当にに大嫌いで、家具の隙間や壁の割れ目など「潜んでいそうな場所」をのぞき込むのすらイヤでした。

 そういう「恐怖」をどうやって克服したのかというと、やはり「アタマ」でこの『イニシャルG』というのはどういう生き物で、そしてどう対処すればいいのか? ということをきちんと「考えてみた」からなのかな? と思っています。

◆「あの昆虫」VS「人類」勝つのはどちらか

 そもそもです……『イニシャルG』って、昆虫の中では比較的大きい方に入るのかもしれませんけど、それでも僕たち人間に比べると比較にならないほど小さいサイズの生き物なわけですよ。だから、いざ「戦い」になったときにどちらが勝つのか? と考えてみるわけです。どちらが勝つと思いますか?
 多分僕たち人類が圧倒的に優位ですよね……一匹の『イニシャルG』と戦って、破れて死んでいった人類ってまだいないんじゃないでしょうか? ですから、そもそも「駆除しようと思ったらできる」程度の相手なんですよ。

 これを逆の立場で考えてみると……そもそも『イニシャルG』たちは明るいところがニガテですから(怖いからです……ヤツラにも「ココロ」があるんですよ)、おっかなびっくり出てきているわけです。その訳は、なにか食べるものや卵を産む場所がないか、明るさという恐怖を乗り越えて探しに来ているわけですよね。なんて勇気ある個体!
 そして、運悪く人類に見つかってしまうわけです。そうすると「駆除」されてしまうわけですから、そりゃもう全力で逃げますよ。文字通り、命がけなんですね。

 駆除しようと思ったらなんとか可能な人類と、命がけで出現する『イニシャルG』……本当に怖がるべきは、どちらなんでしょうか?

 だからといって、じゃ『イニシャルG』を野放しにしましょう! という話でもなくて……やはり衛生上の都合で、人類は『イニシャルG』を駆除しないわけにはいかないんですね。これも一種の生存競争です。テリトリー(この場合は家の中)の奪い合いなわけです。残念だけど、やはりどこかへ行ってもらうか、駆除するかしか、人類に選択肢がないんです。

 ……そう考えていくと、なんだか「気の毒」な気がしませんか? 相手は確かに見た目が麗しくないし、動きが素早くてそこも麗しくないし、たまに飛んでくるからびっくりしちゃうけど、僕たち人類のちょっとした攻撃であっという間に命を落としてしまうんです……

 だからむしろ、向こうのほうが僕たちを「怖がっている」んですよ。その証拠に、僕たちに気がついたらものすごいスピードで逃げますもんね。

◆怖がっていないときの『イニシャルG』の姿

 僕は一度、夜中に目覚めたら頭の近くにいた、という経験をしたのですが(血も凍るホラー話ですね……)、薄明かりの中で見た『イニシャルG』の姿は……不思議と「可愛らしかった」んですよ。

 やつは僕に気がついていなかったらしく、暗闇の中を後ろの四本の足で立ち上がってウロウロしながら、触覚をひょこひょこ動かして「何か美味しいものないかなー」なんて雰囲気でユーモラスに散策してたんです。普段見かけたときのあの「俊足」はどこへやら、ちょこちょこっと軽やかに歩いて、立ち止まって周りをキョロキョロして……なんだかウインドウショッピングでもしているかのような雰囲気だったんですね。
 そんな姿を初めて見た僕は「へぇ、あいつらにもこんな姿を見せる時があるんだなぁ」と感心して、もっとよく見たいと電気をつけてしまったんです。
 そしたら! その『イニシャルG』はいつも見かけるときと同じく、バッと平べったく伏せて六本の足で全力でどこかへ駆け抜けていきました。なんか申し訳ない気持ちになりましたね……その後見つけて駆除してしまいましたけど……。

 この時を境に、僕の『イニシャルG』への感覚が変わったように思います。確かに、いきなり出現されたらギョッとしてしまうけど、そんなに「怖い」と思わなくなったというか、駆除するときの申し訳ない気持ちが強くなったように思います。最終的にはぶち殺すわけですが、その時も「ごめんね」と心の中でつぶやいています

◆怖いものは「見つめよ」

 これは僕のささやかな体験談ですが、こういうのも「アタマで対象をとらえ直してみる」ということなのかな、と思っています。いたずらに「怖い!」という感覚に支配されるのではなく、ちょっと距離をおいて相手を観察することによって、今まで恐怖の対象だったソレが「本当はどういうものなのか」「どんな気持ちなのか」を、アタマを働かせて「理解」するんですね。

 こういう作業を経て初めて「B(無意識の信念)」が【書き換わる】のではないか、と思います。僕の体験だと、それまで

「B(信念)=怖いもの」

だったものが、

「B(信念)=気の毒なもの、自分より弱いもの」

【書き換わった】んですね。これによって

「C(結果)=怖がらない、ぶち殺すの申し訳ない」

に変わったんです。

 確かに、暴力・暴言やお金の無心など、具体的な攻撃を加えてくる相手と対峙するのは大変です。そういうときは前にも書いたとおり「一旦逃げる」のが正解です。ですが、そういう相手とどうしても戦わなければならないとき、というのは、人生やってると何回もあることかもしれないと思います。そんなときも「怖い!」という気持ちが強すぎると、勝てる戦いにも勝てなくなってしまいます

 こんなときに「勇気を出そう!」と考えたとしても、なかなかココロが実際に出してくれないものです。だって「アタマとココロは別のパーツだから」でしたよね。アタマがいくら「ここでは勇気を出す必要がある」と考えても、ココロが実際に出してくれないと、戦う気力というのは湧いてこないものです。
 こういうときの「勇気の出し方」にあたるものがこの

相手をよく観察して、それがどういうものなのかを「アタマで」とらえ直す

という『作業』なのではないか、と僕は考えています。こういう手順で冷静に考えられると、相手の弱点や攻略法が見えてくるものです。

 こういう「プロセス」のことを僕は

『恐怖は見つめると消える』

と呼んでいます。怖いものというのは、アタマでしっかり見つめてやると、怖くなくなるものなのです。腹を据える、なんて言い方もあります。もし今「怖い思い」にさいなまれているなら、しっかりアタマを働かせることで、B(信念)を【書き換える】練習をやってみましょう

 『イニシャルG』のような「ちょっと怖いけどなんとかなるもの」は、いい練習台になってくれるかもしれません……気の毒ですけどね。

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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)