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3-2:声援がアイドルの力になる『メカニズム』(人生はなぜ辛いのか?と思った時に読む『モト』の話)

3-2【声援がアイドルの力になる『メカニズム』】

「喜び」という感情と「モトあつめ」

 さて、さっきの「赤ちゃんの世話をする時の話」にも出ましたが、世話をする側=注目している側のモトが「増える」こともあるんですよね。それは、注目「している」側が喜んでいる時です。

 人が喜びを感じている時、好き嫌いゲージが「好き」の方にぐいぐい動いています。それはモトが増えているからですが、なぜ増えていくのか? とお思いの方は、モトを増やす方法が二つあるのをもう一度思い出してください。

 一つは

「他者に注目されている時」

そしてもう一つは

「自分で生み出している時」

でしたね。

 誰かに注目してモトを減らしているはずなのに、喜びを感じながら好き嫌いゲージを「好き」の方に動かしている場合というのは、実はココロがどんどんモトを生み出しているんです。

アイドルを応援すると「モトが増える」メカニズム

 分かりやすい例をひとつ挙げましょう。 

 アイドルやミュージシャンのコンサート、行ったことありますか?  熱唱する歌手、歓声に包まれた会場、盛り上がる観衆、その声援を受けて、更にボルテージが高まるステージ・・・素晴らしい体験ですよね。

 この時、ステージの演者には当然観客から注目が集まります。注目が集まる=モトが集まってくる、でしたね。ステージに立つ快感というのは、この「モトがどんどん集まってくる」感覚に由来します。

 じゃ、観客側から見るとどうかというと、ステージのパフォーマンスが素晴らしければ素晴らしいほど、興奮していい気分になりますよね。これは、素晴らしい文化に触れることで「ココロが震えている」、つまり

「ココロがモトを自分で増やしている」

からなんです。

 心震えるような素晴らしい体験というのは、ココロを大いに喜ばせます。喜びに満ちたココロは、自分からモトを増やし始めます。もちろん、好き嫌いゲージはぐいぐいっと「好き」寄りに動き、場合によってはメーターを振り切ってしまいます。

 観客は、こうやって増やしたモトを、注目の対象である演者にどんどん送っていきます。送られたモトは演者をさらに高揚させ、パフォーマンスのレベルも上がっていきます。

 こうして、熱狂のステージ体験というものが生まれるのです。

 ですから、「ファンの声援がアイドルの力になる」というのは、実はとても的を射た表現なんですね。モトを通して見ると、本当にそういうことがその場で起こっているからなんです。

 見ている側がモトを生み出し、演者は声援に応えようとさらに歌や踊りに熱を入れる。そうして会場全体がモトに包まれるような、そういう「熱を帯びていく」わけです。

 こういうモトの増やし方を、前章で書いたように僕は

『良いモトの循環』

と呼んでいます。お互いが幸せな気持ちを分け合うことで、お互いのモトが増えていく、そういう現象です。コンサート会場はこういう『良い循環』で満ちているわけです。

テレビからモトが出てくる!?

 さて・・・アイドルやミュージシャンに「推し」(熱を入れている相手、ほどの意味です)がいる方なら分かって頂けると思うのですが(笑)、こういうのって別にコンサート会場に行かなくても、体験できることがあります。

 おうちで「推し」のライブ映像やテレビ出演を見ている時も、同じように「熱い」体験をすることがありますよね。

 他にも、ドラマや映画やスポーツを見て興奮したり涙したり、はたまたラジオや漫画や小説なんかでも、僕たちは興奮したり感動したりできます。

 こういうココロの動きにも、もちろん「モト」が関係しています。

 さきほどのコンサートの例だと、モトを「送る相手」「もらう相手」が存在していました。そこでモトの「良い循環」が起こるという話をしたのですが、おうちで一人で楽しんでいる時というのは、自分が送ったモトというのは一方通行のはずです。こちらから(注目している)画面や本に向かって飛んでいくのみですよね。

 注目しているのだから、モトが減るはずです。でも、嬉しい気持ちや楽しい気持ち、感動する気持ちで「幸せ感」が増すわけです。不思議ですよね・・・

 こんな時は、別に画面の向こうのアイドルにモトが届いているわけではありませんし、本の向こうから時空を超えてモトが飛んできているわけでもありません。

 そう、やっぱりこういうときも、僕たちはモトを自分のココロで「生み出している」のです。

ミラーニューロンと共感力

 とあるテレビ番組で、何かの愛好家である芸能人をあつめてトークさせるコーナーを見たことがありますか? 鉄道であったり、漫画作品であったり、SF映画であったり。そういうものを「熱く語る」姿って、見ているこちらまで興奮してきますよね。

 あれも、別にテレビ画面からモトが出ているわけではありません。自分で増やしているわけです。

 こういう時には「共感力」という能力が使われています。

 大脳生理学によると、僕たち人間には「共感力」というものが備わっているんだそうです。これは脳にある「ミラーニューロン」という神経が関係するんだそうですが、人間はそこの働きによって「見たり聞いたりした情報を、自分の体験に置き換えて考える」ことができるそうです。

 そういう機能のおかげで、僕たちは実際には存在しない「画面の向こう」「本の向こう」「スクリーンの向こう」の世界を「自分の体験」であるかのように『考えて』、モトを生み出したりできるわけです。

 モトを生み出しているんだから、ココロの好き嫌いゲージが上がっています。ゲージが上がるとさらにモトが増えます。こんな風に、僕たちは一人でも「モトの『良い循環』」を起こすことができたりします

 人生が辛い・・・とまでいかなくても、何かストレスを感じることがあったり、ちょっと落ち込んでいるときなんかに、自分の好きなものや趣味に触れると「モトが回復する」のには、こういうメカニズムがあるわけです。

『良いモトの循環』ばかりでない社会

 人と人との関係、そしてその場のモトの動きには、このような『良い循環』が存在することがあります。注目する側がモトを生み出し、その場のモトが増え、注目される側も喜びに包まれ、またモトを送り返す。そういう『良い循環』です。

 ですが、ご存知の通り、社会にはこういうモトの『良い循環』ばかりが存在するわけではありませんよね。どちらかというと、こういう関係の方が少なく、むしろ一方的にモトを奪われたり、吸い取られたりすることの方が多いと感じている読者の皆さんも多いんじゃないでしょうか。

 では次は逆に、モトを「減らしながら行う」コミュニケーションを見て見ましょう。

(続く)

「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)