【掌編】声が大きいのは悪いことではないはずだけれど
彼のことは、仮にDさんと呼ぶ。
Dさんとの仲は、まあふつう。必要があれば話をする、おなじ会社の人、といったところだ。
Dさんは声が大きい。どのくらい大きいかと言うと、話しかけられたら必ずビクッとしてしまうくらいに大きい。
名前を呼ばれたりなんかしたら、一瞬で恐怖に身体が固まる。
声が大きいのは悪いことではないはずだけれど、なぜかDさんの場合は、あまり好ましくないくらいに大きい。
いや、声だけじゃないな。Dさんには大きいことが多い。
声と同じくらいに態度も大きい。リアクションが大きくて物を落としたり倒したりするから、ガチャンっ、ドンっと、大きな音をたてもする。
つぶやく独り言もとても大きい。
話しかけられたのだと勘違いした誰かが返事をしてしまうと、大きな目でギョロリと睨まれる、なんていうこともある。
そうそう、鼻歌も大きい。なにが理由かはさっぱりわからないけれど、ご機嫌で仕事をしているとき、ふんふんと聞こえる鼻歌は、誰かがマイクを通さずに歌っているレベルの大きさ。
そんなふうだから、おなじフロアで働く誰もが、Dさんが今どんな状態であるのかを、察するどころではなく把握している。それくらい存在感がある。Dさんはとにかく大きいのだ。
大きいのは悪いことではないはずだけれど、明らかに悪いこともある。
「それさぁ、オレの仕事なの?」
電話中のDさんが誰かに投げた疑問の言葉で、付近一帯の席が固まる。空気も身体もカチコチになって、身動きすらする人がいなくなる。
「だ、か、らー、なんでオレがそんなことやらなくっちゃいけないんだって言ってんだよ」
Dさんの声がぐんと鋭さを増す。
「おまえ、なめてんのか? なめた仕事してんじゃないよ!」
一際大きな声で怒鳴りつけてから、Dさんは電話を切った。
「まったく、ふざけんなって話だよな。聞いてた?」
近くに座る誰にというのでもなく、Dさんは声を発した。
「けどそんな言い方したらハラスメントですよ」
私は大きすぎる失礼に耐え切れず、条件反射のように言葉をこぼしてしまった。
「ふん、ああ、そうですか」
Dさんはこれまた大きすぎる鼻息とともにそんな返事をした。
ああ、やってしまった。私は口を出さずにはいられない自分を反省する。
今のが最後の返事だ。こういうことのあといつも、2、3日は口をきいてもらえない。仕事の話だろうがなんだろうが、あからさまな無視をされる。
仕事はやりにくいやら、周囲の人をヒヤヒヤさせてしまうやら、混乱が起こるとわかっているのに、また口を出してしまった。
でもさ、こういうの、へんじゃない? よそでもよくあることなの?
いつものことだけれど、びっくりする。
これでいいのだろうか? 社会人って、大人って、人間って。
*
週末に祝日が加わった三連休を経て、出社したDさんはご機嫌だった。
エレベーターホールの方から大きな鼻歌が、ふんふんと響いてきて、Dさんの姿が見えるよりも早く、フロアのみんなはそれを知る。
「買い物に出たら偶然行列に出くわしてさ、聞いたら激売れでなかなか買えないお菓子だっていうじゃない。思わず並んで買っちゃったよ」
おはようの挨拶もなしに大きな声で話しながら、各人の机にひとつひとつ配って歩く。
「あ、ありがとうございます」
「おうよ」
お礼を言っても無視されなかった。どうやらほとぼりは冷めたらしい。
でもなんで私が無視されなくっちゃいけないのよ。悪いのはDさんなのにさ。思い出すと腹が立った。
けど、ま、今日のところはヨシとするか。お菓子もらっちゃったし。仕方ないよね。
彼はDさん。必要があれば話をする、おなじ会社の人だ。
<-ダレソレ-「声が大きいのは悪いことではないはずだけれど」おわり>