【花を尊ぶ感性に】

憧れていた。

花を見て、心が大きく揺さぶられることは20代前半頃までなかった。

キレイだな…良い感じがするな……
というようなものはあったものの、本当に心の底からの振動を感じるような感覚からは程遠かった。

幼少期は国語が得意であった。
小論文のテストは毎回ほぼ満点で、大学も文学部へ進んだ。

「人はこれを見たら、こう感じる」

「このような状況では、涙する」

「作者はこのように感じているから、こんなことを書いている」

というように、自分の中では数学のようにイコールになっていて、繰り返すうちに人はこのように感じるものだということが刷り込まれていった。

テストと同じように、生活においても「花=キレイだよね」といった具合に。

そんな私にも、花をいただく機会が人生で何度かあったのだが、嬉しくなかったわけではない。

「何かを贈りたい」と私に対して思ってくれたこと自体にありがたみを感じていた。

そもそも、どんなものであれ贈り物をいただくことはありがたい。

花自体がキレイというよりも、その人自身への感謝の気持ちを持っていた。




私がそのようなことを振り返るようになったのは、特にここ最近、「花が美しい」と感じているからだ。

花をキレイだ、好きだ、と言っていた人たちは、こんな気持ちで花を見ていたのか……と。

ワクワクするような、ホッと微笑んでしまうような、そして生活に疲弊している心をそっと癒やしてくれるような、そんな温かさがある。

コーヒーを飲みながら、ずっと見ていたい。

なぜ、私はこれを感じることが出来なかったのだろう…

「花を美しい」と心から思えている自分と、そうでなかった自分には、絶対的な違いがあるのだと思っている。

きっと、ただ好みが変わったという話しではない。

花がある人生に、豊かさを感じている。

出来る事なら枯れてほしくないと思っている。

しかし、枯れてしまって、新しいお花を生けることも楽しい。
まず「生ける」という言葉が好きだ。

出来るだけ、長く、枯れないでいてほしい。

そんな気持ちで、Bar黒月に花を添えている。


花の美しさを知らなかったことを知れたのは、心から花の美しさを知ることが出来たからかもしれない。

今、歳を重ねることは悪くない。と思えている。


ムンヒジュ

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