それでも社会の中で生きていく

今日は少し、取り止めのないお話。

私はちょうど小学校を卒業する前あたりから、人と話すことにストレスや緊張を覚えるようになった気がする。

家族のこともあった。小さいながらに感じていたと思う。今でこそ家族には感謝しているが、いわゆるドラマに出てくるような、いつも笑顔の存在がいて、みんなで支え合う、和気藹々とした家族ではなかったので、いつも誰かの顔色を伺って、私は面白いことを言っていよう、そういう人間になろうとしていた気がする。

ともだちの存在もよくわからなくなっていった。自分が人を貶めることもあったし、嫌のことをされたこともあったと思う。本当は心から腹を割って、自分の気持ちを誰かに伝えたかったんだな。ただそれだけだったと思う。

私は大人になれて、歳を重ねられて、本当によかったと心から思っている。今の状況を誰が想像できただろうか。

人が何を感じようと、人生の中で一時でも歯を食いしばって毎日泣いてそれでも諦めずにありとあらゆる殻を破って自分のやり方でもがいた経験のある私を、私は見下さないでいたい。

他の人と比べる必要はないと良くいうけれど、それは自分が気づいた時から意味をもつ言葉であって、今それが実感できなくても焦ることはないなと思う。地球に私一人しか存在しないのであれば、比べることもなくて簡単だけれど、世界は対象でいっぱいだもの、比べないでいる方が断然難しい。

こんな私が、こんな世の中が、と隙あらばなんでも何かの原因を探ってうまくいかないことの当てつけをしたくなる。自分にも世界にも優しくなれないことはよくある。社会の中で生きることが辛いなんて大きなことを言ってみたくなる。

社会の中で生きるには、と思ってきっと毎日生きてきた。行き詰まったらどうすればいいのかな。

ある時父が言った。今までやってきたことを、もう一度やればいいだけだよ。

ある時母が言った。人のせいにすんすなよ。

どんなに理不尽なことがあっても、そうやって立ち上がって、泥を食べて生きてきた気がする。私の家族は歪だけれど、彼ら一人一人はなかなかいい生き方のセンスを持っていると思う。家族という社会ではまとまりが悪くても、一人として生きていく力はある。

そして私も社会の中で生きる。世界の中で生きる。私のリズムと体で、言葉と物事を選択して、心の目を意識して、幼い自分を抱きしめて、生きていこう。神さま、今日も愛して、許して、そばにいてくださってありがとうございます。毎日そう思って生きていきたい。

今日も精いっぱい生きている人に、世界が優しくありますように。

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