働きながら子育てをする

しばらくぶりの投稿。
まだ北米のとある街に住んでいるけれど、
最近主人と日本に帰ったらどうしようかという話題でよく話している。

娘は日本に帰るころ3歳半になる予定。
私もついに長い休職期間を経て、復職することとなり
二人共働きで一人娘を育てることとなる。

私の母は専業主婦で、結婚を機に退職した後、外で働くことはなかった。
なので、私自身働きながら子供を育てるという姿を見たことがない。
私は母を心から尊敬しているし、愛しているが、
子どもの頃から母が自分の意思で自分の人生の選択ができないことに
非常にストレスを抱えている様子を間近で見てきた。
例えば、買い物1つにしても、行くタイミング、買うもの、値段…全て
自分の意思だけでなく、夫や家族の姿が頭に過ってしまうらしく、
そのもやもやした気持ちが爆発してしまいそうになると、
度々寝込んでいた。(本当に、文字通り寝込んでいた。)

今住んでいる北米の街を見ていると、思ったよりも
仕事をせず育児に集中しているという人がいたので驚いた。
それでも、基本的には夫婦共働きスタイルの人が多くみえるし、
その場合、子供はかなり小さい時から保育園に預けるか、
専用のナニーを雇って、日中は仕事に集中しているようだ。

専業主婦が良い悪いだとか、そういった
両極端な話はこちらでは置いておいて、私個人の思いを記録したい。

一人の人間が社会で自立して生きていくために必要な経験は何か。
私はやはり、自分で自分を養う経験だと思っている。
思えば簡単なことのように感じる。
自分が必要な食べ物・衣服・住まいを揃えるためには
お金がいる世界に生きている以上、お金を生み出す行為(労働)は
当然発生してくる。(もちろん健康状態、家庭の状況などでそれができるかできないかに違いは出る。)だから、働く。

私は働きながら子どもを育てることに、
ある種の希望を抱いているように感じる。
娘にも自立した人生を送ってもらいたいという気持ちがあるので、
親の姿勢として働く姿を示したいという一見美しい理由もある。
一方で、母がなぜ苦しんでいた(いる)のか、同じ母の立場に
なって、もっと理解したいという気持ちもある。
母は、いろんなことを諦めながら子育てしたのではないか。
自分が諦めていることに気づく暇もなく、助言も無く、
無我夢中になって子どもを育てていたのではないだろうか。
母が、本当に求めていた姿を私が実現してみたいというおこがましい
気持ちが、働く事への希望を膨らませている気もする。

こちらに来て友達になった中国人の友人に、私は日本に帰ったら
仕事にすぐ復帰するのだということを伝えた。すると
「働く場が保証されているというは本当に素晴らしいこと。
あなたなら上手くいくわ。子どもを産んで女性だけがキャリアに後れをとるなんておかしいよね。男性との共通した考えのもと子供を産み、育てているのなら、キャリアだって同じように捉えるべきだと思う。」
との反応だった。

今はまだ、再び働くまで時間があるけれど、
自分自身をもっと開放したい気持ちになるたびに、「働く」という
言葉が頭に浮かんでくる。それが私に時間と責任と自由を与えてくれる
事をわかっているからだと思う。

自由を得るための労働は、買ってでもしてみたいものだな。
人間は自由にしか本当は生きられない気もする。
だからこそ、それに伴う責任を選ぶ。
大変なことだけど、私は今から働くことをひそかに楽しみにしている。
(このドキドキ感が娘にもいい影響を与えられていたらいいな)

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