恐ろしく可能性の低いいつかのためのエッセイ
エッセイストなんて職業は存在しないのではないか。
正しく言うと、エッセイの仕事だけで生活している人は存在しないのではないか。
僕はエッセイを読むのが好きなのだけど、ふと本棚に並んだエッセイを眺めていて思った。
星野源。若林正恭、岩井勇気。みうらじゅん、さくらももこ。
星野源はミュージシャンだし、若林や岩井はお笑い芸人だ。みうらじゅんに関しては怪しいが、さくらももこは漫画家だろう。
結局エッセイというのは、何が書いてあるかよりも誰が書いているかが大事なんだろう。少なくとも僕は音楽とお笑いと漫画が好きだから、この人たちのエッセイを読んでいる。この人たちは音楽やお笑いを始める前に、「将来的にはエッセイを書いてお金を稼ごう」なんて思ってなかっただろう。
岩井に関しては「エッセイにするような話がない」というテーマでエッセイを書いている。
さて、僕は30歳、男性、普通のサラリーマン、既婚者、賃貸のマンション暮らし、視力が悪い、普通自動車の免許を持っている、多少料理ができる。これだけ属性を並べてみても、日本にあと500万人はいるんじゃないだろうか。
500万人いる普通の人間のエッセイを読みたがる人は、まあいないだろう。
エッセイというのは自分が好む、尊敬する、憧れる、誰かの人生を覗きたいから読むものだ。
でも、もしいつか何かのきっかけで僕が1億分の1になれるかもしれないじゃん?
誰かに好まれて尊敬されて憧れられる可能性も、なくはないじゃん?
そんでどこかの出版社の人が、この人にエッセイを書いてもらおうなんて話になった時、僕には書くことなんてないですよ、なんて言ってられないじゃないですか。
だから僕はその万が一に備えて、500万分の1の一般人として、エッセイを書きます。
たぶん多くの人が経験しているようなことを、堂々と、できるだけ読んでもらえるような形で書きます。
よろしくお願いいたします。
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