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性別なんか、いらない。

「性別」という概念を意識し始めてから、苦しかった。

最初に違和感に気づいたのは、小学生の頃だった。
女子の話題に全くついていけなかった私は、男子のグループの中で遊ぶことが増えた。
それを見た他の女子から「あいつは男好きだ」なんて言われたりした。
私としては『男』が好きなわけでもなんでもなく、ただ友達として好きだから一緒に遊んでいるだけだった。
こんな行動をとっていたのは、今思えば自分のことを「女」であるという意識がほとんどなかったからだと思う。
あと、陰湿な嫌がらせや嫌なことを言ってくるような人もいなかったという理由もあったけれど。

また、母からの「女の子なんだから〇〇しなさい」(言葉遣いに気をつけなさい、とか足を閉じなさいとか)という言葉に反抗的な思いしかしていなかった。
礼儀、みたいなものは性別関係なく心がけるものであると思っていたからだ。多分。
今となってはこんな風にどうして母の発言にモヤモヤとしたか端的に言語化できるが、当時はなんでこんなにモヤモヤするか分からなかった。

次に、中学生。
小学生の時に受けていた私に対する「男好き」ムーブは学年が上がるごとにエスカレートした。
これは中学二年生あたりがピークだった。
そこまで耐えて、中学3年生になった時に彼氏ができた。
彼はもともと中学一年生の頃から仲が良い男友達だった。
ある時、彼にキスを求められたことがあった。
私はそれを拒んだ。
別に、彼のことが嫌いだからというわけではなかった。
それまで対等だと思っていた二人の関係がそういった性的なものを求められたことによって崩れていくような気がしたからだ。
そして、この人は私のことを「女」として見ていて、この行為の後、対等ではなく自分の所有物、支配できるものとして私を扱うようになるのではないかという恐怖を覚えた。
急に自分の性別的な役割を意識させられた瞬間、凄く気持ち悪くなった。
この数ヶ月後、彼とは別れた。

そして、高校生。
高校一年生の時、テストの回答用紙の性別欄に関していつも一言言う担任の先生がいた。

「自分が男だと思う人は男にチェックして、自分が女だと思う人は女にチェックして、どちらでもないと思う人はチェックしなくていいからね。」

その時は、この言葉はなんとなく聞き流していた。
私の周りの同級生たちも「この先生は何を言っているんだろう」という顔で聞いているようだった。
この時私は、「LGBTQ」という言葉をまだ知らなかった。
今思えば、あの一言は先生なりの理解と配慮だったんだと気づいた。
でも気づいたのは、先生が他の学校に赴任してしまってからだった。
この時はただ相変わらず、モヤモヤとした違和感だけ抱えていた。

ある時、自分の通う高校にLGBTQの啓蒙活動を行なっている人が講演をしに来たことがあった。
私が初めて、モヤモヤの根幹に触れた瞬間だった。
性別に対する違和感、問題、悩み。
それぞれ、その人と全く同じではなかったけれど、共感する点がいくつかあった。
自分がどれに当てはまるとかは分からないけれど、自分がどれかに当てはまるのではないかと気づいた瞬間、自分の中で何かが崩れた音がした。

次の日から、途端に制服のスカートを履く自分の姿が醜く鏡に映るようになった。
また、異性に対する自分の気持ちが周囲の人が抱く恋愛感情とは恐らく異なるであろう、ということに気づいてしまった。
この気持ちを友達にも相談できず、今後抱え込むことになる。
知りたかったような、でも知らない方が幸せだったのかな、なんていうふうにも未だに考えてしまう。

年齢を重ねるごとに一つ、また一つ謎が解けていくうちに「性別」という概念に悩まされることが増えた。
大学生になった今も。

生物学的な「性別」という区別は必要だと思う。
でも、「女性らしく」「男性らしく」みたいな個人にバイアスがかかるような概念には嫌悪感を覚える。
生物学的には自分は女であるという自覚はあるけれどそれ以外では「性別」という概念は関係ない、というかいらないのではないかと思う。


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