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欠落の記憶をうめたいから

母親と会話した記憶があまりにも少なく、私が人とのコミュニケーションに難があるのは母親との少なかった会話によるものではないかと、考えることがたまにある。
人として身につけておかなくてはいけない基本的なことが多々欠落している。倫理観やら貞操感覚、そういったことが特に拗れたままだと思う。
人と接することは、幼稚園への入園から始まった。何をどうすればよいのかイメージが全く持てなかった私は周囲の園児たちを前に、ただぼんやりと立ち尽くすことしか出来なかった。園の先生たちの表情は冷たくて、いや、きっと先生たちは熱心に私の面倒をよくみていたのだろう。でもよくわからなかったし、未だに人と接することがぎこちないままに続いている。

家庭持ちでいながらなぜに誰かを好きになるのか、これを整理して自説をすれば、おそらく、未知なる物事を教えてくれる女性を求めているからだろう。きっとそういうことなんだと思う。

少ない母親との会話をした記憶のうち、一つだけ頼み事をされた記憶がある。
カーペンターズ特集のラジオ番組があるからそれをラジカセで録音して欲しいということだった。カレン・カーペンターが摂食障害で亡くなった直後の頃の話。彼女の死亡した年月日を調べると、それは私の中学時代だった。母はなぜカーペンターズが気になったのだろう。
録音テープを母が聴いた後、私は母親よりも多く繰り返して聴いた記憶だけが残っている。

母は無口であり、よく泣いていた。裕福だった時代は無口だったと思う。不幸が始まった後は父と姉と私がいる三人を前に泣いていた。
裕福だった時代は自宅に庭もあって犬を二匹飼っていた。不幸な時代は猫を飼った。母が犬を可愛がっていた記憶は無い。猫はハナという名前で名付けたのはたしか母だった。かの女は猫が好きだったのかもしれない。

自分の家庭を持ちマイホームを購入してから我が家では猫を三匹飼っている。なんとなく思うのは、カーペンターズの音楽は猫が居る風景によく似合っている。

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