戦いの歌・詩

2016年の夏の出来事を考えるとパズルのピースが一つ、また一つと上手く埋まってゆく。あの夏以降にあった事がすべて、現在の弾き語りをやってることに通じていて。2016の夏はまだ文学極道もネット詩も知らなかった。7月から8月にかけて3人の若者と1人の老人に会った。若者3人は「表現」をやっていた。1人の老人は世間ではオピニオンリーダーと呼ばれている人で、敬愛する大瀧詠一さんを生前から直接知る人物だ。「表現」がやれていいなと素直に若者たちが羨ましかった。一方で老人からは慎ましく老いてゆく悟りの境地みたいなことを教わった。でも、穏やかに夏は終わらなかった。一つのつぶやきに動揺した。同年代のおじさんが寂しくつぶやいていた。「僕にはいいねをつけることしか出来ない」。そのつぶやきをみつけた時、見てはならない、読んじゃいけない、知らなかったことにしようと決めた。不完全燃焼な気持ち。仕方ないんだよね、人生なんてそんなもんだと。

それから1か月ぐらいが過ぎて、ひょんなことから超歌手大森靖子さんを知った。「2014年夏の魔物」を観た。失礼な言い方になっちゃうけれども、「キモい」と呼ばれそうなおじさんを抱きしめて大森靖子さんはディープキスをしていた。なぜだか大森靖子さんと一緒に、僕も戦いたいと思った。あれから7年になる。誰かに向かってか、わからないけれど、今だに下手な歌とギターなんだけども、これは戦いなんだと書いておく。優しさや楽しみを他人と共有する目的などない。どちらかといえば憎悪。誰に褒めてもらわれなくとも。

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