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多文化共生における「文化軸」


大瀬:久しぶりに先生と「多文化共生」という用語について考え直してから、改めて、自分の身の回りに溢れる多様な他者の文化や価値観を敏感に感じながら生活するようになりました。私は昨年の今頃はオランダに留学中で、日本と異なる文化や多様性を日々感じて暮らしていたのですが、自分のホームである日本にいると、文化の観点にどうしても鈍感になってしまって、「こんなことではいけない」と思ってしまうこの頃です。

関:「多文化共生」という言葉を聞いた時に、多くの人は何を考えると思う?

大瀬:外国との人々との関係性とか、日本と海外の括りで考える人々が多いんじゃないでしょうか。

関:そうだね。僕は大学で異文化コミュニケーションの授業を担当していて、その中で多文化共生のことについても多くの時間を割くのだけど、この授業を受講する多くの学生は、「異文化」や「多文化共生」と聞いて外国との関係を思い浮かべる。レポートにも「この授業では外国のことを学ぶんだと思っていた」との記載がかなり多い。

大瀬:先生は外国に行くことが多いイメージがありますから、学生がそう思う気持ちもわかりますね。

関:そもそも、日本語の「多文化共生」という用語が使われ始めたのは1990年代とつい最近のこと。そして総務省が2006年に「地域における多文化共生推進プラン」を策定し、地方自治体に広まっていったんだ。そして、当時総務省が想定していたのは、もっぱら日本に暮らす外国人との共生だった。だから学生たちがそう思うのは無理もないことなんだ。

大瀬:しかし、先生と一緒に研究を進めていく中で、多文化共生と言うのは(前回の記事にもあるように)外国人差別をはらむリスクの高い概念であると一方で、未来志向で捉えれば、多様性を包摂する社会を実現するキーワードでもあると言うことがわかってきました。私たちはぜひ未来志向で、ダイバーシティを尊重する社会を実現したいですね。

関:そのためにこの団体で15年も頑張っているからね。
さて、ここまではアメリカと日本の比較を例に取って国を単位とした多文化共生の動向を話していたけど(前回の記事参照)、文化軸は決して国だけではない。もちろん、国、民族も文化の中には含まれているけど、それ以外にも宗教やジェンダー、食、職業、世代、都市/地方など文化軸と言うのはとても幅広いよね。日本で教育を受けている人々は、このような多様な文化軸があるということ自体を学ぶ機会が足りないかもしれない。

大瀬:私は帰国後、モンテソーリの教育機関で働いていて、日本の小学生の教育に携わっているのですが、(多文化共生についてずっと考えてきた影響もあるのでしょうが)、同じ国の児童と言えど、個々の児童の価値観や考え方が相当に違います。また指導する教師が持つ観点も多様です。皆同じ国の人間なのに。

関:多文化共生とは「異なる文化背景を持つ人々が、互いの多様な文化背景を尊重しながら、共に健全な社会を構築するために協働する」ことだと僕は考えている。外国の人々との共存はその一部に過ぎない。例えば、僕と大瀬さんにも文化差がある。少し考えただけでも、世代や性差、居住環境、世代などの文化差はあるよね。それらの差異を認識した上で、それを超えて協働できることが多文化共生だ。聞こえはいいかもしれないけど、実際には難しい部分もあり、それができるようになるための努力とスキルも必要となる。

大瀬:最近、小学生と関わることが増えてくる中で、今の小学生は私の小学生時代とは全く別の世界を生きているのを痛感する毎日です。時代が変われば、その時代を生きる生活スタイルも年代によって差は出ますね。

関:「文化は変わらないもの」と思っている人がいるけれども、文化は常に変容し、再構築されていくものなんだ。例えば、日本が高度経済成長を達成した1950年から1980年代に日本人の勤勉さや集団主義、企業への忠誠などが世界に広まり国際的に評価されたけど、昨今の日本の人々が全体的に勤勉だとか集団主義であるなどとは必ずしも言えないのではないか。

大瀬:文化というのは、ひと言では語れないとても複雑さがありますよね。とはいえ、「文化相対主義」という用語にまとめられるように、世の中にある文化はすべて尊重されるべきですよね。ある文化は尊重されて、他の文化は否定されると言う傾向は世の中に対立と分断をもたらしかねません。

関:そうだね。当たり前なことだけど、もともと人間は自分を中心に物事を考えるよね(これを自文化中心主義、エスノセントリズムという)。自分の外の人々や考え方を尊重すべきことは頭ではわかっていても実際にはうまくいかないこともある。違和感のある考え方に遭遇した時に、それを許容したり受け入れたりするのって結構大変なことじゃないかな。

大瀬:大学1年生の時にネパールに行ってとても興味深いことがあったんです。ネパールの村にホームステイをした時、ホストマザーが毎日美味しいご飯を作ってくれて、ホストファミリーと一緒に手でダルバートを食べる方法を教えてもらったりして私はとても嬉しかったんですけど、やはり一緒に行った日本の人たちの中には手で食べるなんて汚いって不快感を持つ人もいて。
もっと衝撃的だったのは、薪で火を起こして料理をしてくださっていたのですが、炭が入ったご飯は健康に良くないから食べたくないと言い出す人もいて。私はお家でこんなふうに暖をとりながらご飯を食べられるのいいなぁと思ってたのに。同じ物事に対しても捉え方は様々。この例を取ってみても、多文化共生というのはなかなか複雑だな、と思います。と同時に、先生がよく仰る「多文化共生力」がとても重要に思えてきます。

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