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John Lennon's Toronto Rock&Roll Revival

■ イントロダクション

2021年の1月にこの動画の#1のデイブ・グロールが着たTシャツと#2のアクセル・ローズが来たTシャツを紹介する動画を2つ同時にYouTubeにアップしてから毎週金曜の夜21時に一本ずつ動画を追加していってるんですが、紹介したいTシャツは既に決まっていて、週一で取り上げていけば2年分はあるなぁと、当初から一緒にやっているメンバーにも言っていたので、このシーズン6は2枚組のレコードに例えると、1枚目のA面が終わって、レコードをひっくり返して、B面を聴き始めた頃だと思ってください。
ビートルズのホワイトアルバムなら、B面2曲目今回はジョン レノンの”I’m so tired”を聴いているところだと思ってください。
アナログ盤は曲数が少ないので、まだ1曲目の”Martha My Dear”の終わり位かもしれないですけどね。

例え話で引っ張りますが、スタート当初2枚組レコードの A面までは曲順が決まっていたんですが、さて、B面以降になると、はさっぱり曲順も内容も決まっていなくて、曲の素材だけがごろごろと転がっているばかりだったんですね。その素材を整えて、内容決めて料理すると言う作業があるんですが、それが結構時間喰いまして、割とギリギリまでかかってしまいましたが、ようやくまとめられてB面の曲順が決まって、動画にできるところまで来たと言う感じなんです。
楽しみにしてくださっている方も、そうでない方ももうしばらくお付き合い下さると嬉しいです。

ということで、全然キリの良い時にでも何でもないのですが、自分でもまさかYouTubeでジョン・ レノンのことを少しでも話して発信するというようなことになるとは、数年前には夢にも思わなかったことで、なんというか気後れもあり感傷的な面もあり、複雑な心境だったりします。
そういう意味ではシーズン4の#4エディ・ヴェダーの着たTシャツの回と同じ位私的な感情に入った回になるのかなと思います。

■ トロント・ロックンロール・リバイバル



1969年まだビートルズがこの世に存在していた頃
毎年カナダのトロントで開催されていたロックンロールのリバイバルフェス、このフェスはロックンロールのルーツミュージシャンであるチャック・ベリーやリトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイスなどが出演して、50年代のロックを再現すると言うものだったらしいのですが、リバイバルといっても1969年からすると10年そこそこのことなんですね。ただ、50年代後半から60年代にかけた10年ほどの時間でロックがポピュラー音楽路して急速に発展して、その多くをビートルズが担っていたこともあってか、ジョン・レノンにロックンロール・リバイバルフェスへの出演オファーがあり、ジョンはソロで出演を受けたと言うことです。
で、そのフェスに出演するためにバンドを結成するのですが、それがプラスティックのバンドです。メンバーにはエリック・クラプトンがいて、もちろんオノ・ヨーコもメンバーでした。
急遽結成されたバンドで、音合わせすらしたことがなく、会場でのリハーサル1回のみで本番演奏したのだそうです。それでもその音源はライブ・アルバム”Live In Peace Toronto 1969" になっていますし、”Sweet Toronto"という映像作品にもなっているので、どんなライブであったかと言うのは割としっかりと、よく知られたものだったりします。
ただ私自身がジョン・レノンと言う人を最初に意識したのは、ジョンが亡くなった時のことで、昭和の思い出の動画でもお話しした20 Greatest Hitsというベストコンピレーションカセットでビートルズの曲を聴くより前の事でした。

■ ジョン・レノン


1980年12月8日、ジョンが亡くなった翌日か翌々日の朝の新聞に大きく取り上げられていて、
それが外国のミュージシャンであること、世界的に有名な人であることを知り、その冬のクリスマスに”Happy X'mas(War Is Over)"がテレビやラジオや田舎町のスーパーのBGMからも、何度も何度も流れて来たのが記憶に残っていて、生家で過ごした最後のクリスマスの音楽は幸せな思い出と合わせて、ジョン・レノンと言う有名な外国人ミュージシャンの死、不幸にも殺された死が、何度も繰り返し流されるそのクリスマスソングに紐づいた記憶として、それから40年経った今でも鮮明に残っているんです。
皆さんはそういう自分の幸せと他人の悲しみがどこかでくっついてしまうことで忘れられない複雑な感情として記憶に残っているという事は無いでしょうか?

そして、このトロント・ロックンロール・リヴァイバルのTシャツを着たジョンの姿、この写真自体は、ウォーンフリーのサイトでこのTシャツを見るまで知らなかったんですが、当時ライブ活動していなかったビートルズを離れて出演した歴史的なフェイスのTシャツをジョン自身が来ていたと言うことでこれも大好きな1枚です。
ジョンのTシャツスタイルの写真は数多く残っていて、New York City や Working Class Hero とか有名なものもありますが、個人的にはこのトロントロックンロール・リバイバルTシャツが一番好きです。


■おまけ(ジョンのリアル感を感じたくて)

2012年の秋、今からちょうど9年前になります。
ハリケーンが上陸する直前のNYを訪れました。セントラルパークは想像以上に広くて、朝アッパーイーストサイド(セリーナばりにニューヨーク近代美術館の階段でベーグルとコーヒー)から、ゆっくり歩きながら北上するようにぐるりと外周を反時計回りに散歩して、アメリカ自然史博物館で恐竜の化石の模型やウーピー・ゴールドバーグのナレーションのプラネタリュウムを見たりしたあとそのまま通りを72番街まで南下すると、もう地図やガイドブックを確かめることなくダコタハウスについたことがわかるセントラルパーク側に露店みたいなのが数件あってジョンの肖像画を売っていたり、ダコタハウスをバックに写真を撮ってくれる(もちろん有料)写真家がいたり...
入ることはできなと知りつつも、入り口まで行ってしばらくそこにボーッと立ってみるが、意外に観光者は他に誰もいなくて、完全に不審者になってしまった。
ダコタハウスの入り口の写真を2枚撮るも、2枚ともカッコ悪い構図になってしまった。今でも憶えているが、異常にソワソワして落ち着きがなくなってしまったのだ。人生の中であんなにソワソワして居心地の良くない時間はないというくらいだった。理由は全くわからない。ただ悲しくて泣きそうになってしまい、ますます不審で写真にも写っている警備員もこっちをチラチラ見始めてるし、もっとじっくり色々と感傷に浸れるかと思ったのだけれど、ジョンはあまりそうさせてはくれなkったということだろうか?

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通りを渡ってセントラルパークに入りすぐのところにストロベリー・フィールズがある。ここはピースフルな雰囲気に包まれており、ギターをもった人がC→Cmajya7→Fとコードを鳴らすとそこにいる人々が揃って「imagine there no heaven〜」と歌い出す。花を添える人がいたり、日が落ちる頃になるとキャンドルを置く人がいたり、ギターを弾く人はいつの間にか別の人になっていて、そこでは結構な時間があっという間に過ぎていきました。

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わたしがロックを聴き始めた80年代以降、ポールはもちろん、ジョージもMTVでヘヴィ・ローテーションされる大ヒット曲があり、リンゴに至っては日本のCMにも出演するようなことがあり、それぞれのビートルにはそれなりのリアルタイム感があったのですが、偉大なるジョン・レノンは13時間かけて会いに行ってもなかなかリアル感を感じさせてくれなかったのです。

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