兄妹児②
今から数時間前
やっぱり、母に、何のために私を産んだのか(ダウン症の兄のお世話役として産んだのか)、聞くの止めようと思った。
たとえば母がお世話役として私を産んだとして、それはもう全うしたし(笑)母とともに疲れたし(笑)それによる色々もあったから、今後はお世話係はしないし必要もないけれど、、、
じゃあ母が私の面倒を見なかったか?と言われたら、エサはくれたし←、高校生になって「お昼は買え」と言われてお金持たされる同級生もいる中、母は私のために毎日お弁当作ってくれたし、まぁまぁの愛情はくれた。
母にとっては平等な愛だとしても、やっぱり手間をかけられた子が1番愛情感じ取れるでしょう。そこはもう、仕方ないのかなと。
私が感じ取れないからいけないの!?って自分を責めたこともあったけど。そりゃ、自分より手間かけられてる兄妹見たら、そんな気持ちにもなるわな、と。
これが全く愛情もらってなければ、もっと明確に恨んでると思うし、なーんか、はっきりさせる必要もないかなと。どっちでもいーや。笑
ダウン症の子を育てるのは、本当に綺麗事では済まないけれど、じゃあ私が兄をめちゃくちゃ恨んでるか、と言われると可愛いから仕方ないと思う気持ちもあるわけで。
しかも
私はこの件で母に暴言を吐いてきた。
「長男には学費かけて、ダウン症の兄には手間かけて、私には何をかけたの!?」とか(ちなみに母はこれに応えられなかった)
キッチンでダウン症の兄と母が一緒にいただけなのに、兄に「お前だけ『愛されて当然』みたいな顔してんじゃねーよ」と言ったり(兄はびっくりした顔してた。言葉は発せなくても、雰囲気で私が兄に敵意を向けたのは分かってる)
他にもあった気がするけど。。。
しかもこれ、高校生の頃は「良い子」やってたから言えなくて、大人になってからの話。
私の中のヤンキー炸裂☆☆
そんなこんなで、母は「ごめんね」と私に言った。
いや、母が誰よりも一生懸命子育てしてたのは、私たち兄妹が誰よりも知ってるよ。だから、こんなこと言ったら母が傷つくと思って言えなかったんだよ。
でもここですんなり謝れる母は、やっぱりすごいと思った。「柳に雪折れなし」を体現したような人だ。
やっぱり憧れる。
これと派生して、実は私は高校生の頃、父には反抗出来た。「死ね!クソジジイ!」って500回ぐらい言わせてもらった。でも高校2年生のときに父は亡くなったから、父の闘病生活は私の「死ね!クソジジイ!」で埋め尽くされてたかもしれない。
それでも父は私に何も言い返さなかった。ただ一言、いつも「ああやって甘えてんだよ」と言っていた。当時の私は、何言ってんだ?って感じだったけど、今思うと「まさに」という感じだ。
ちなみに父は国立がんセンターでも「治療法がありません」と言われるくらい珍しいガンだったのだけど、末っ子の私には、あまり病状は伝えられてなかったし(長男のみ詳細を知ってた)、「末っ子らしく何もわからないフリ」をしてた方が家族的には安心なんじゃないかとも思って、あんまり考えないようにしてた。正確にいうと、父の病気と正面からは向き合えなかった。
長男から見たら、「あんな体格いい大の男に、あんなことよく言えるな。殴られたら死ぬじゃん」と思ってたらしいのだけど、私は本能で100%父は私を殴らないと確信してたんだと思う。
父は私に優しかった。一回だけ、お尻叩いて叱られたことがあるけれど。
それと、たぶん母より「人を愛する」ことが上手だと思う。なんていうか、母もちゃんと愛してるんだけど、伝えるのが上手くない。
ダウン症の兄も、どちらかというとパパっ子だったし。遊ぶのが上手い。
母は、物理的にご飯作ったりお金稼いだり…なんか、男女逆転?というか、うちの父、無能?笑
器だけはでかい、無能?笑
経済支えてたのも母なので、無能といえば無能なんだけど、頭は良い人だったのと、愛を伝えるのは上手だった。そして弱い人だった。この、弱さが私に遺伝してしまったから、たまったもんじゃない。
はぁー、スーパーマンみたいな母に似たかった。
なんか話ずれたまま終わったな。笑