アダルトチルドレン②~仲間~
てんかんだけじゃなく、こちらも結構語れる気がするので、ぼちぼち書こうと思います。
私にはアダルトチルドレン仲間がいる。小学生の時からの友達で、その子は私よりよほど辛い思いをしてきたと思う。それこそ、成人しただけで「偉い」と言えるレベルに。その子は本当にすごい。「生き抜いた」という点で、とても尊敬している。
その子は、というか小学生からの友達は、唯一、私の過去の辛さを分かってくれる友達だ。やっぱり、目の前で見てないと分からない「辛さ」なんだなと、改めて思う。私の小学生の「当時」を知らない人には分かってもらえない。
社会人になってからの友達に、小さいころの辛かった話をした。その子は弟が発達障害で、「私だって障害をもった弟いるよ」と言われた。うちの兄は「命をかけて母の愛情を独り占めしにくる」のだから、発達障害の子とは比較にならない、と思った。このセリフを言った相手の辛さを軽く見るわけではないけど、その弟さんは自衛隊として「就職」もできたのだから、正直レベルが違うでしょ、と思った。
ちなみに、「命をかけて母の愛情を....」というのは、ダウン症の子はだいたい心室中隔欠損または心房中隔欠損を伴って生まれてくるからだ。うちの兄の場合は、その両方だったのだが(._.)
でも、「同じアダルトチルドレンじゃないと分からない」というのも違う気がしていて、私の「小学生当時」を知っている友達で、いわゆる「幸せに」育った子でも、「あのときは確かに、はなマルちゃんは表では悲しそうにしてなかったけど、大人になって考えたら、かなりしんどかったよね」とか、「陰でたまに、お母さんが夜勤に行っちゃうとき、泣いてたよ」とか、『私の覚えてない私の当時の辛さ』まで覚えていたりする。
冒頭でのアダルトチルドレン仲間で、かつ小学生からの友達には、その子は一人っ子だったので「私と違うのはさ、ママが大変なのは分かるけど、ママが大変な中、ちゃんと可愛がられてる、ちゃんと手間をかけてもらってる他の兄妹を見せつけられるところだよね」と言われた。これも、自分では気づかなかった、『当時の私の辛さ』だ。
言われるまでは、単純に「ママが構ってくれない、話を聞いてくれない寂しさ」かなと思っていた。
人に話すと気が付くことも多くて、やっぱり整理になる。
私はこれらを「だから私はダメなんだ」で終わらす気はなくて、ただ受け止めるのに時間を要するのは当然だとは思っている。「だから私はダメなんだ」で終わらせるのなら、カウンセリングに高いお金は払わない。
事実を受け止めたうえで、必要な対処をし、前に進む。それがたとえ、ゆっくりゆっくりでも。そのせいで道を間違えることがあっても。ゆっくり修正すれば良いと思う。
今回はこれまで。
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