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先日暇つぶしにあてもなく街中を歩いた時があった。一人行動は好きだけどカフェやご飯屋さんに一人で入る勇気がないという一人行動に適さない性分の私だがその日は前からインスタを見て気になっていたカフェに勇気をだして入ってみた。(インスタの先人たちの投稿から店内の様子や注文の仕組み、行き方めちゃくちゃリサーチした笑)書店とカフェが一体になった粋な場所で、所狭しと並んだ書籍は中古品と新品が混ざっていた。中にはいつの時代だ?!と驚くほどの年季の入ったものからどこかで見た記憶がある映画のパンフレットが積まれ、ところどころに店主の感想やおすすめが書かれた付箋が紛れていた。大小様々な椅子と机のセットが壁沿いに並び、席に着くと店員さんがメニュー表を持ってきてくれた。カラフルな色鉛筆のタッチと飛び出す絵本のような見た目のメニュー表に心奪われる。せっかくだからと飲んだことは無いがチャイを頼んだ。スローテンポな音楽が流れる店内にはパソコン作業をする客が数名だけだった。たくさんの書籍から1冊選び、ゆったりとした時間に満足しながらチャイを飲む。なんだか小説の中の人物になったみたいで心地よかった。

ところでいつになったら声の話をするんだと思った方もいるだろう。自分でもこんなに前置きをするつもりはなかった。ここでとりあげるのは店主の30代くらいの男性。静かな店内で話すので内容まで丸聞こえだったが内容と言うよりも声が気になった。特に特徴がある訳では無いが所謂デキル男感を感じた。インテリ系のできる上司の話を聞いてる気分だった。きっとどちらかと言うとモテる感じなんだろうが私は惹かれなかった。ならなぜこんなこと書くんだという感じだが、このことをきっかけに私はこれまで好きになった人達のことを考えていた。顔から入ってるんだ。私は面食いなんだとばかり思っていたが、思い返すと遠くから見て気になっていた人でも声を聞いてなんか違うな。合わないだろうなと見切りをつけたことが何度かあった。一緒にいて話す声、自分にだけ見せる声、相槌の声、咳する声、眠そうな声。色んなバリエーションがあるけど「この声安心するな。ずっと聞いてたいな。」そんな声に出会った時に恋に落ちたという感覚になっているなと思い返した。声はその人を構成する一部分でしかない。しかし私の名前がその人の声で発せられるその瞬間、どうしようもなく愛おしく、そしてこそばゆい感覚に包まれる。何度でも呼んで欲しい。そんな声の主に私はまた出逢えるだろうか

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