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親友のように自分を扱いたい私

私はとても自責の思考が強い。
良く言えばを責任感が強く、悪く言えば自意識過剰なんだろう。

その責任感は仕事では大いに生かされてきたとは思うし、そんな私を過去の上司たちは「頼りにしている」と言って評価をしてくれていたが、その一方で「心配性・神経質」としても見えていただろうなと思う。
ほどほどであれば素晴らしい素質。そう、ほどほどであれば。

うまくいっても、いかなくても、結局どこかに満足しない点が一つでもあれば「自分はなんて無能なんだ」とレッテルを貼り、自分なんて生きていないほうがいいと思うことも少なくはなかった。

厄介なことに、大人になるとこの思考はどんな毒よりも自分を苦しめて腐敗を進めていく。
どんな時も、恐ろしい敵が常に私を見張っているような感覚。

自分の価値観を自分で否定して、元気なときは前向きでいられるのに、何か一つでも落ち込むキッカケがあるとどこまでも落ちていってしまう。
「自己肯定感」という言葉がさまざまなところで提唱されるなか、何故私はこんなに自己肯定感を持てないんだろうと毎日考えて、それでも答えがでない。
そして答えがでないことにまた落ち込む、という面白いほどに無限ループにはまるというありさま。

このままでは良くない。
もっと自分を大切にしたい。
そう思えば思うほど、考えても考えても着地点が見当たらないのは不安だ。

そんな私が唯一(思い出せたときにだけ)実践しているのは、「自分を親友として扱う」こと。
自分とまったく同じ行動をとったのが、失敗をしたのが、人を傷つけてしまうような嫌な考えを持っていたのが親友だったとしたら、私はどうするだろうか。

答えは毎回同じ。
「その状況ならきっとその選択がベストだと思うよ」
「よく頑張ったね」
「そういう気持ち、誰だってもっているよ!」

どんなシチュエーションでも自分だと責めてしまうのに、もしこれをしたのが親友だったら?と考えるだけでこの違い。
褒めて励まして、きっと最後には心のなかで親友に「ごちそうするからスタバで甘いものでも飲んでこよう!」と言ってるだろう。

だから思い出す余裕があったら、自分に言ってあげる。
大丈夫。よくやった。あなたは充分やってるよ。

本当はいつだってこうしてあげたいのに。
私は、親友のように自分を扱いたい。

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